検索
顧問感覚

コモンセンス

千里の馬

 今朝、開智未来への通勤中、自動車を運転しながら、「昔の人は、旅をするときも移動は徒歩だった」と、ふと思いました。「千里の馬を持つことが王侯士族の夢だったのだなあ」と、こちらもふと思いました。
 「千里の馬」という言葉は中国の故事にありますが、これは1日に千里を走る名馬のこと。古代中国の1里は約400メートルという説もあるので、千里とは約400キロメートルです。
 「千里の馬の能力は今自分が運転している車とほぼ同じなんだ。立派な身分になったものよ。
世が世なら、私は開智未来までの14キロメートルを毎日徒歩で往復しなければならなかったのに」
 最近、身心の〈老化〉と抗い、「歩くこと」をよくしています。趣味の散歩というより、移動手段としての徒歩です。市街地の本屋へ行くために2キロメートル歩く。銀行のATMでお金を引き出すために往復1時間以上歩く。歩きながら、道ばたの草木に気付き、家々の生活を垣間見ています。空気も気温も、風も雲も感じます。自分の身体もまさに体感します。自分の内面との対話も行っています。いわんや、何日にもわたる徒歩の旅では何を見、何を感じていたのでしょうか。
 車という便利なテクノロジーで私たちはきっといろいろなことを失っているに違いありません。
 私は千里の馬に乗るほどの人間なのか。
 歩きながら自問しています。
 さて、今日は中学1・2年生のペア駅伝です。
 彼らが自分の足でどのように走るのでしょうか。
 そろそろ始まります。肉声で応援したいと思います。

留守番

 今日は始業前に中2・3年の希望者対象の「東大ゼミ」があり、中学1~3年および高校1年の「哲学」の授業がありました。昨日の筋肉疲労も残っていて大変でしたが、元気いっぱいに授業を行うことができ、老化との闘いに勝利したようで、今爽快な気分に浸っています。
 今日の高校1年「哲学」のタイトルは「断片 (fragment) -進路(すすむみち)の入り口にいる君たちへ」で、次のような言葉を書き添えました。
 「断片を文字にすることは楽である。断片を語ることはもっと楽である。人はたやすく、呟くように断片を語る。断片を集め、掘り下げて、その本質をもとに全体像をつくることは難しい。その全体像を構造図にすることはもっと難しい。それ以上に、断片を読み手に伝わるように文章にすることは至難である。さらに一つの作品にまで仕上げるのはもっと至難である。難しいだけに価値ある作業である。今日、楽な方法をとってすみません。だが、断片だからこそ鋭く切り込める時もある」
 3か月ぶりに「顧問からのメッセージ」を再開して、拙くとも文章を書くことの困難さを再認識して綴った文章です。これまで「哲学」のテキストはテーマにしたがって完結した内容だったのですが、今回は様々なことを断片として記すオムニバスの形式を採用ました。
 内容は多岐にわたっていますが、底流に流れるものは一貫していると思っています。生徒たちもよく聴いてくれました。
 まずはボールを投げる。しかも、最高のボールを投げる。
 少々生徒には難しい話であっても、生徒たちが自分の受け取り方で必死にキャッチしてくれると信じて投げてみることにしました。もちろん、現在私が考えていることの最前線の話です。
 以下、テキストからの抜粋を載せたいと思います。
 ☆   ☆   ☆
〈無理に理解されなくていい〉
(1) 理解するより認めること:他人は理解などできない。自分でさえ理解できないのだから(2) 理解は支配である:親に「お前のことは完全に理解しているよ」と言われて嬉しい?
(3) 解釈を拒絶する:「そういう人だよね」と言われたら悔しくないかい?
□「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」(小林秀雄「無常ということ」より)
〈漱石の言葉より〉
□「天と親とがコンナ人間を生みつけた以上は、コンナ人間で生きておれという意味より外に解 釈のしようがない。コンナ人間で生きておれという意味より解釈しようがない」(『書簡』)  (私の書き加えより:自信満々の前向きな自己肯定ではない。「開き直った自己肯定」である。自己否定も含まれた自己肯定である。さて、開き直った人間は強い。自己否定を超えて生き始めているからである。どうにもならなくなったら、自分を卑下したり否定したくなったら開き直ろう。こんな自分でしか生きられない)
 ☆   ☆   ☆
 今回の高校1年の「哲学」テキストは、「フィリア」の「保護者用キャビネット」の「R元年」FWフォルダに「高校1年哲学共通テキスト5」(PDFファイル)としてアップしました。興味のある方はダウンロードしてみてください。※フィリアのこのフォルダを開けると、私のアップした哲学テキストのファイルに「承認待ち」と記されています。もしかしたら承認されていないのでダウンロードできないかもしれません。加藤校長が帰国したら対応してもらうつもりです。もし見られなかったら少々お待ちください。
〈追伸〉
 カナダおよびアメリカから両フィールドワークとも、全員無事に帰国の途についたとの連絡がありました。もうすぐ羽田空港または成田空港に到着すると思います。もうすぐ私の留守番も終わりです。久しぶりに開智未来で毎日過ごして楽しかったです。

未来ホワイト

 本年度2回目のプレ合格祈願走ということで、朝7時30分に自宅のある加須市騎西地区の玉敷神社を出て、9時30分に学校に到着しました。最後の方は足が攣(つ)りそうでしたが、埼玉大橋以外ではほぼ走り続けることができました。
 一度は自宅から開智未来へ走って登校してみたい、とずっと考えていました。開校9年目でようやく実現できました。もう思い残すことはないかな。
 開智未来が近づいてきて、朝日を受けた白い校舎が目映くて、少々感慨にふけってしまいました。開校前年の11月に旧北川辺高校の校舎の改修がやっと終了し、あらたに塗り替えた校舎の壁を「未来ホワイト」と名づけて喜び合ったことを思い出しました。
 苦しさに耐えて走り続けながら、この苦しさに耐える力はどこから来るのだろうと考えました。目標は「身体活動を行う哲学者」ですので、走りながら自分を身体や脳や心を見つめる作業を続けました。
 苦しさに耐える力の源泉は「自分」と「感謝」である。
 負けそうになる弱い自分、頑張ろうとする自分、そういう自分を受け止めながら、時には自分を嫌になったり好きになったりして、自分を越えながら、自分として生きていこうとする力。
 そして、この開智未来を選び入学してくれた生徒たちへの感謝。あの子たちのためには足を止めることができない。感謝の力は大きいですね。
 こうやって走れるうちは開智未来と関わっていけるかな。少しは開智未来に貢献できるかな。
 ちょっと心が瑞々(みずみず)しくなったような気がしています。

心の老化

 昨日の15分間走は土曜日より150メートル伸びて2850メートル走破となりました。この齢で記録が伸びると結構嬉しいですね。子どもの頃にもどったような気分です。
 小学生・中学生の頃は、身長が毎年伸びて、50メートル走の記録も年々速くなっていきました。はるか昔の話で、その成長感覚というものを忘れかけていました。半年以上の膝痛を股割りや足の指のマッサージなどで自力で治し、日々ウォーキングに励んで、少し走れるように回復して、記録が150メートル伸びたことを無邪気に喜ぶ〈自分〉を取り戻しました。
 昨日のメッセージに書いたように、私は「心」の老化が最も早く来ると思っています。頑固になった、短気になったなどは目に見える老化です。感動しなくなった、感謝しなくなった、反省しなくなった。なかなか自覚しないことですが、自分を見つめてみると、たしかに思い当たる節があります。
 「哲学」の授業で、中学生に「最近感動したことはありますか」と問いかけましたが、これは本当は大人にこそ問いかけることかもしれません。「今の子どもは感動しない」と言う大人がいますが、果たして大人は子どもの時のように、クワガタを発見して、蟻を見続けて、夕日や雲を眺めて感動しているのでしょうか。
 大人は子どもに「反省しなさい」「反省の色がない」と注意しますが、私たちは素直に深く反省しているでしょうか。子どもの頃のような瑞々しい「反省の色」はすっかり色褪せていはしないでしょうか。
 私たちはだいぶ早くから心が老化していると私は感じています。
 最近、ベートーベンの「ヴァイオリン交響曲」をCDで何度も聴いています。奏者はハイフェッツで、深く感動しています。しかし、小学校時代、音楽の授業の際に音楽室で聞いた「運命」の感動には及びません。あの頃は自宅でクラッシックのレコードを聴くようなことはなく、学校で聴く以外にそのような機会はありませんでした。
 心の老化と抗い、あの頃の瑞々しく感動する心を取り戻したい。その方法を研究・実践中です。その鍵は身体や皮膚感覚、そして、不便(便利でないこと)や貧しさ(所有していないこと)にあると思っています。

齢(よわい)と戯れる

 先週の土曜日に中学2年2組・4組の体育の授業に参加し、「15分間走」を一緒に走りました。
 「15分間走」とは15分間でどれだけの距離を走れるかを記録し、積み重ねていく開智未来体育科の取組です。
 このように体育の授業で生徒たちと一緒に走るのは久しぶりです。開校の頃はまだ元気で(8歳も若かったのですから当然ですよね)、1日に2~3コマ参加したこともあったのですが、今は1回が限界です。県立高校の教頭・校長時代から、生徒たちと身体で関わることを教育の基本と考え、特にマラソン大会や体育の授業で一緒に汗を流してきました。
 言葉では伝えられないことがある。
 もう無理と思っていましたが、数年ぶりに自分を思い出しました。
 「哲学」の授業で生徒に「ハンディがあるから面白い。ハンディがあるから闘争心が湧く。私にとってのハンディは『老化』です」と話していたので、私の自らのハンディと闘う姿を見せる機会ともなりました。
 目標は3000メートルだったのですが、身体がまだ重くて2700メートルで終了しました。へばっていると、「顧問、ハンディと闘えましたか」と生徒から言われてしまいました。
 「哲学」の授業の基盤となっている「サプリ」では「人間は身体と脳と心からなる」としています。その3つの機能をいかに最高にしていくか。つまり自分の機能をいかに高めてその自分を生きていくか。これがサプリの主張です。年を取ると、その3つの部分がそれぞれ衰えてきます。その老化といかに闘うか。それが今の私のテーマです。
 後日、再度このメッセージで書いてみたいと思っていますが、私たちは「心」「脳」「身体」の順で衰えていくと私は考えています。世間では逆の順で言われていると思いますが、それは本人が気付かないだけで、気付きやすい身体からと勘違いしているのだと私は考えます。
 老化に対峙(たいじ)して、抗(あらが)う。この姿勢を「齢(よわい)と戯れる」と私は表現しています。齢に戯れて最期まで自分を全うする生き方を貫く。私の残りの人生のテーマでしょう。
 老いに目を背けて、しばしば気付かず、ときには流されて、ときには安直にごまかして、心や脳が老いていることにすら気付かないような鈍感な生き方はしたくない。
 ちょっとかっこつけてしまいましたね。
 本日の5時間目、私より50歳近く年下の、中学2年(今回は1組・3組です)の生徒たちと本年2度目の「15分間走」に挑戦したいと思います。

3か月ぶりのメッセージ

 ご無沙汰しております。
 7月にホームページの不具合で一時メッセージを送れないようになって、その時に本性の怠け心が顔を出してしまったのか、3か月ほどメッセージを書かない日が続きました。週2回の開智未来勤務ということもあって書きづらかったのかもしれません。
 加藤校長先生と藤井教頭先生が海外フィールドワークの引率で、この間管理職が不在になるということで、大学へは出勤せず10月23日から毎日開智未来で仕事をしています。やっぱり開智未来はいいですね。
 ということで、久しぶりにメッセージを書こう、書けるかなという気持ちになってキーボードをたたいているところです。
 この3か月間、身心の向上(身体・脳・心の高機能化)に努め、サプリも進化させてきました。様々な思索も深めてきたつもりです。少し成長したメッセージをこれからも送れればと思っています。
 特に、老化に抗って身体の機能を高めてきました。中でも股関節と足の筋肉を整えました。その結果、昨年痛めた膝もほぼ完治し、ジョギングができるようになりました。
 失敗したら恥ずかしいのであまり表だって言わなかったのですが、10月9日(水)に湯島天神からプレ合格祈願走(とは言っても歩いたり走ったりです)を行いました。生徒たちの名前が書かれた絵馬を境内に飾って合格祈願をして、今年はせんげん台駅までの30㎞を走破(踏破)しました。そして、来週の水曜日(10月30日)には、生徒たちの思いを書いたTシャツを着て、加須市騎西にある玉敷神社から、加須市不動岡の総願寺(通称「不動様」)を経て、第2回目の約18㎞のプレ合格祈願走をする予定です。
 この開智未来を選んで来てくれた生徒たちへの、私のできるせめてものお礼です。
 「言葉に質量を与えるのは行動である。そして、その行動は身体で行うものである」
 少しサプリが進化しました。
 12月1日(日)の「こいのぼりマラソン」では3年ぶりの完走を目指します。高校1年・2年の生徒たちと一緒に走れることが楽しみです。(関根)

お詫び

開智未来のHP管理者です。

先日の同一メールが何度も送信され、皆様方にご迷惑をかけたことに関しまして心よりお詫び申しあげます。

その後、しばらくの間メール配信サービスを止めて、サーバー会社にシステム的な原因究明を徹底的に行ってもらいました。

その結果、それらしき原因が見つかりましたので設定変更を行い、本日から通常通りのメール配信を再開することとしました。

しかしながら、今回の措置が正しいかどうか、まだ様子をみる必要がございます。

つきましては、前回のような事態に三度陥った時は、直ちに設定変更はするものの、何通かのメールが皆様に届いてしまう可能性がございます。

どうか、その場合には、当該メールを削除していただくなどの対応措置を取っていただきたく、お願い申し上げます。

ご迷惑をおかけしますが、ご理解、ご協力をお願いします。

 

開智未来 管理者

 

里山考(1)

 少々雨空に倦みつつ、里山から帰って4日目の朝を迎えました。また里山探究FWの余韻が残っていて、生徒たちと一緒に過ごした3日間のことわ、メモートを見ながら振り返っています。
 今回の里山探究FWでは、1学年の先生方と話し合って、タブレットとカメラを持っていかせないことにしました。保護者の方の中には記念の写真は?と心配なさった方もいるかもしれません。
 このような決定をしたのは、早朝アクティビティや森林探究などの活動の最中、生徒たちがすぐにタブレットやカメラで撮ろうとするからです。じっくりと観察しようとはせず、まず興味をもったものを写し、あとで宿に帰ってからその写真をスケッチノートに描くのです。これではただのお絵かきであって、「観察・発見・疑問」という大切な知的活動にはなりません。
 実際のものをしっかりと見る(観る)。
 便利な機器はこのような知的活動を生徒から奪ってしまいます。
 しっかりと観察すると生徒たちは様々な疑問を持ちます。タブレットやスマホがあるとその疑問についてずくに検索して調べることができます。すぐに答えが見つかります。たしかに便利です。私もしばしば利用しています。しかし、そこで得られるのは単なる「情報」です。
 「知識」とは、その言葉に「知」という語がある以上、知的な活動を伴わなければなりません。疑問をもったらあれこれと考え続ける。このことが大切なのです。しかし、タブレットを持つと生徒たちはすぐに答えを見つけてしまいます。これでは「仮説」は生まれません。これもタブレットを持たせなかった理由の一つです。
 「便利になることは一つ大切な人間の能力を失うことである」
 いろいろな機会に私が言っている言葉です。
 車は便利である。しかし、自らの力で歩く力が弱まる。
 自転車は便利である。しかし、歩いた時のように立ち止まることがなくなる。
 コンビニ食は便利である。しかし、食べ物を調理する力を弱める。
 カメラは便利である。しかし、脳裏に止め置く力が弱まる。
 AIは便利である。しかし、「……」。
 「……」に何が入るのでしょうか。「便利」という概念が経済活動の中心となっている現代社会について、私たちはもっと考えてみなければならなでしょう。もちろん、便利であることは必要なことですし、人間の活動を拡大させ、また、能力をさらに発揮できるようにしてくれます。しかし、「勉強に便利」なことは果たして知的活動にとってよいことなのか。少なくとも手放しでよいことなのでしょうか。そんなことも考え込んでしまいます(最近、ますます哲学っぽくなってきたようです)。
 メッセージが長くなりました。続きは明日としましょう。明日は「カメラ」について考えてみたいと思います。
 雨の一日になりそうですが、よい1日をお過ごしください。

里山と成長

 昨晩、夜11時頃に里山から帰宅し、今日は7時50分から東大ゼミ、1時間目には中学2年生の「哲学」の授業を実施しました。
 哲学の授業では、「里山」のことについて話をしました。ちょうど1年前に行ったので、生徒たちも興味をもって聞いていました。
 「里山から1年、そのフィールドワークで学んだことをしっかりと続けているか、この1年間で成長したか」
 私は生徒たちに訴えました。
 「自然体験のキーワードは覚えていますか」との問いかけにほとんどの生徒ははっきりと思い出せないようでした。とても残念でした。
 「五感、もぎとり、感動です。このキーワードは卒業するまで、卒業してからも、私のような年になるまでずっと覚えてほしい、とても大切な言葉です。しっかりと見ていますか。味わって食事をしていますか。五感を鋭くして自然や人に接すると、いろいろなことに感動できるようになります。そのことを1年前の里山で学んだはずです。思い出してください。あれからどんな1年を送ってきたでしょうか。振り返ってください」
 私は8年前の第1回里山フィールドワーク以来、「五感、もぎとり、感動」「観察、発見、疑問」「自立、自律、集団」といったキーワードを生徒に暗記させ、その意味を考えさせ、3泊4日の里山で実行させてきました。これらのことを身に付けた大人になってほしいからです。
 そして、ずっと参加して、それらを実行している大人(「じじい」かな?)の姿を生徒たちに見せようと努めてきました。
 さて、昨晩別れた1年生たちは、里山でのすべてのプログラムを終え、今、埼玉へ向かっていることでしょう。
 里山で感動しましたか。
 是非、その感動を保護者の方へ伝えてほしいと思います。
 里山で成長しましたか。
 是非、その成長した姿を保護者の方々に見せてほしいと思います。
 そして、学んだこと感じたことを忘れずに、これからも成長しつづけてほしいと思います。
 あと数時間で家に帰ることでしょう。
 1年生の保護者の皆さん、成長したわが子をご覧ください。そして、成長したわが子にふさわしい親子関係を作り始めてほしいと思っています。

明日から里山

 5週間ぶりのメッセージです。
 この間、考えつづけることが多く、文章で自分の考えをまとめるための「脳の空き容量」が不足していました。拙い文章とはいえ、文章を書くためには、思考の流れを確保し留める時間と空き容量が必要です。そんなもっともらしい言い訳をして、久しぶりのメッセージを書きたいと思います。
 明日から中学1年生たちは「里山探究フィールドワーク」に出発します。開智未来には週2回勤務ですが、第1日目から3日間、私も参加することになりました。
 下見等も入れると、今回で10回目の里山行きですが、子どもたちと一緒に「ワクワク」できることにワクワクしています。3日間、走り回り、歩き回り、「五感・もぎとり・感動」をして過ごすつもりです。楽しむ力、よろこぶ力、感動する力、ワクワクする力。寸毫も衰えていないと自負しています。生徒たちに「いきいきした表情」を与えたいと思っています。
 さて、九州地方の豪雨のニュースを聞き、ご心配の保護者の方もいらっしゃると思います。生徒たちの泊まる飯山市の北条地区は、崖も急な斜面もなく、近くに氾濫するような川もありませんのでご安心ください。もちろん、引率責任者である藤井教頭を中心に、1学年の先生方と細心の注意をもって積極的なフィールドワークを行ってきたいと思います。
 1年生の保護者の皆様、子どもたちの成長した姿を楽しみにしていてくださいね。