顧問感覚

コモンセンス

梅雨入り

 今日は大学です。
 通勤時間を有効に使おうと読書に励んでいると、乗り換えの春日部駅を乗り越してしまいそうでした。集中はしたいが乗り越しは避けたい。切実な葛藤です。電車通勤も楽ではありません。生徒たちもこんな思いをして開智未来に通学しているのでしょう。
 柏駅からは傘をさしての徒歩。梅雨入りなのでこんな日が続くのでしょう。ずっと車通勤だったので、雨の中を傘をさして歩くのは久しぶりです。ズボンも濡れますし、カバンにも雨がかかります。子どもの頃は楽しかったのに大人になると憂鬱になるのは不思議な話です。
 「かさ これは あめのおとが よくきこえる きかいです」
 車中で読んだ『名文どろぼう』(竹内政明著、文春新書)に紹介されていた詩です。
 たしかに傘に当たる雨の音は、カタコトと、いい音ですね。別の世界から聞こえてくるようです。私の子どもの頃、半世紀も前の昔から届いた音のようです。
 「梅雨は嫌だね」
 嫌っているのは人間の大人だけかもしれません。
 雨は濡れながらその音を聞くもの。安全地帯の部屋の中で、コーヒーを飲みながら眺めるものではありません。
 実は、子どもの方が贅沢なのかもしれません。
 大人になって忘れてしまったことを思い出そうと思っています。

不易と流行

 今日は開智未来です。
 早稲田大学が、2021年度入試について記者説明会をしたというので、インターネットで調べてみました。全学共通の取り組みとして、「Web出願時に『主体性』『多様性』『協働性』に関する経験を記入する」ことにしたとのことです。「出願用件とはしますが、得点化しません」と注意書きも加えてありました。
 たしかに「主体性」「多様性」「協働性」はこれからの日本社会や世界で求められるキーワードではあります。そうだとしても、出願用件として、この3つの言葉に関する経験を作文させることはいかがなものでしょう。何となく薄っぺらで、画一化された世界が到来するようで、心配です。
 明治14年に下野し大隈重信が、翌年創設した東京専門学校が早稲田大学の前身です。この大学が、時流の言葉を並べるとは意外です。
 「親孝行」に関する経験でいけないのでしょうか。「義理」は?「人情」は?
 節度。律儀。尊敬。自省。謙譲。慈悲。親切。寛容。知足。利他。こんな経験を書かせた方が、人間の深さや成長につながるように思います。
 あまのじゃくですみません。それに、「自律と正義」「創造・発信・貢献」「ねらい、メモ、反応、発表、質問、振り返り」等々の言葉を掲げている私がこんなことを言う資格はないのかもしれませんね。
 「不易と流行」
 芭蕉の言葉という説もありますが、深い言葉です。もっともっと大切なものが身近にたくさんあることを、私たちは心に留めなければなりません。
 「主体性」「多様性」「協働性」に関する似たり寄ったりの経験談が、これから日本中で語られることになるでしょう。少々気味悪いですね。

足腰

 今日は、まず岩槻校の塾説明会で少々話をして、その後、柏市の開智国際大学へ向かいました。
 岩槻校は東岩槻駅から約1.3㎞。往復して、柏駅から大学まで約2㎞を25分かけて歩きました。
 今年になって歩くことが増え、足腰が強くなってきました。岩槻校への道すがら、ユリやあじさいの花に足を止め、スマホで写真を撮って、このメッセージで何を書こうかと思案し、忘れないようにメモをして……と、徒歩の自由さ・自在さを楽しんでいます。
 こうやって楽しめるのも、足腰が鍛えられてきたからです。遠距離通勤も乙(おつ)なものですね。やはり、足腰は大切ですね。
 身体の足腰と同様に、脳や心にも足腰があるような気がします。
 もちろん、一つの「比喩」なのですが、実際にあるような気がするのは不思議なものです。考え続けても疲れない、むしろ、楽しくなってくる。少々のことでは折れない心。足腰のしっかりした心。どうしたら心の足腰を鍛えられるのでしょう。
 西田幾多郎やカントは散歩を好み、その哲学を深めたと言います。やはり、身体の散歩がスタートなのかも知れませんね。
 さて、5時から会議です。会議が終われば、再び駅まで歩くことになります。その時間が何気に待ち遠しいです。帰宅できるからというだけではないようです。加えて、トレーニングにもなりますし。
 足腰を鍛えましょう。

クロッキー帳

 先日、開智国際大学からの帰宅途中のこと、東武伊勢崎線の電車に座っていると、向かい側の椅子に座っている女子高校生が、手帳のようなものにしきりと何かを書いていました。
 手の動きや視線に注目すると、どうも前に立っているビジネスマン(というよりちょっと疲れたサラリーマン)の後ろ姿を描いているようです。
 ほとんどの乗客が、スマホをいじっているので、異様なほどにその女子生徒の姿が浮き出て見えます。
 ずいぶん懐かしい風景だな。
 半世紀近く前は、ふつうではないですが、あり得た情景でした。画板を抱えた男子生徒、詩集を手にした女子生徒。私も高校時代は美術部だったので、クロッキー帳にさまざまなものを描いていました。
 そう、「クロッキー帳」です。この言葉も久しぶりに思い出しました。
 手軽にタッチひとつで、世界を駆けめぐることのできるスマホに比べ、鉛筆のスピードは遅く、力量がなければ思い通りに描けない。
 これが身体感覚の世界です。昭和の世界です。
 夕方、6時半を過ぎて、車内の電灯で照らされた空間に、彼女だけが人間の姿をして見えます。 ずっと絵を描き続けてね。
 昔の自分を思い起こしながら、ちょっぴり嬉しい気持ちに浸りました。
 高校2年生の修学旅行で、私はスケッチブックを持って京都を歩きました。苔寺、天龍寺などでスケッチをしました。昭和の懐かしい思い出です。
 さて、中学3年生の探究フィールドワークは2日目。メモートにスケッチしている生徒もいると思います。雨で濡れないことを祈っています。

敬体のエッセイ

 校長時代の「校長からのメッセージ」は開校前の平成22年5月26日に始まりました。最初の5年ほどは毎日欠かさず書きました。昨年まで約8年間、2000回以上は書いたと思います。
 その間、このメッセージを「敬体」で書くか、「常体」で書くか、しばしば悩みました。敬体・常体とは文の末尾形態のことで、敬体は「です、ます」、常体は「である、だ」で結びます。校長からのメッセージは、数回の実験例を除いて、敬体で書いてきました。敬体の方がやわらかいし、校長である私が読者一人一人に伝えることばとして適切であったからです。
 「開智未来ではこんなことがありましたよ」「読者の皆さんに伝えたいことがあります」
 そんな思いで、書き続けてきました。
 同時に、単なる校長からの連絡・メッセージで終わらないようにしました。そして、教育に関する、生き方に関する、社会に関するエッセイにしたいと思っていました。10年にわたって『月刊高校教育』に連載を書いている者として、また、中学・高校時代に文筆家を志していた者として、そんな自負や意地のようなものがありました。
 本年度、校長を退任して顧問になりました。開智未来を伝えたくて、私のメッセージを楽しみにしている方もいらっしゃるかもしれない(?)ので、「顧問からのメッセージ」とタイトルを変えて書き始めました。
 校長の立場からこのメッセージを書く必要はなくなりました。その分、自由に、時には「私自身」を前面に出すことができます。同時に、もっとエッセイに近づけることもできます。
 エッセイとは、人生や社会の断面を深くするどく描く、一つの文学です。そのためには立場を離れることが大事で、ときには、自分をそっと文章の背面に置くことも必要です。通常「常体」を使います。その方が鋭く切り込めるからです。余韻や理解を相手に預けることもできます。
 この「顧問からのメッセージ」を書き始めたとき、常体にしようかと何度か考えました。しかし、開智未来に関わってきた、かつての校長として、多くは私と接する方が読む文章ですので、敬体で書き続けようと思っています。時には、エッセイ色を濃くするために常体で書くことあるかもしれませんが……。
 61歳となった今、私は中学・高校時代に抱いていた夢を実現したいと思っています。芸術家、そして、文筆家。昔の自分の夢を昔の自分に叶えてあげたいのです。だから、このメッセージでは「敬体のエッセイ」を目指したいと思っています。
 さて、今日は大宮ソニックシティの地下1階で「私立中学校フェア」が実施されており、開智未来も参加しています。これからそちらへ向かいます。11時過ぎに到着すると思います。
 それから、中学3年生たちが「探究フィールドワーク」に出発しました。今は新幹線に乗っている時間でしょうか。「何を観る、何を考える」。昨日「哲学」の時間で生徒たちに伝えたことです。有意義な時間を過ごしてくださいね。

プレゼント

 今日は孫娘の5歳の誕生日です。
 6月生まれなのに「涼蘭」という名前で、季節は少々違うのですが、「すずらん」という語感が心地よく、私は気に入っています。
 これから小学校に入って、「すずらんさん」と呼ばれて「はい」と返事するでしょう。その後、すずらんママになり、すずらんおばあちゃんになっていくのでしょう。
 本年度、こんなことを考える余裕も出てきました。
 かつて、「校長からのメッセージ」等で、将来「ダンサーと詩人になる」と冗談まじりに宣言しましたが、4月から少しずつ詩を書いています。
 「親バカ」ならぬ「じじバカ」で、孫娘の誕生日プレゼントにこんな詩(詩という代物ではありませんが)を作ってみました。
☆  ☆  ☆
すずらん すずらん
鈴が鳴る
涼風 涼んで  鈴虫鳴いて
鈴掛の下で 夏祭り

すずらん すずらん
ランドセル
ディズニーランドのセールスマン 
ランチをとったら セーラー服で
オランダめざして 走り出す

すずらん すずらん
鈴が鳴る
すずらん すずらん
すずのゆめ
☆  ☆  ☆
 下手くそで恥ずかしいのですが、動き出さないと夢は実現しません。夢を本気で追う姿は、開智未来生たちに見せたいと思います。これは開智未来生へのプレゼントです。

三位一体

 昨日、11日ぶりに開智国際大学に行きました。
 大学で過ごしていると、開智未来に行く日と違う自分になっていることに気付きます。教育研究所のこと、大学の運営のこと、学問のこと。教育や生徒たちのことを離れて、大人の世界に自分がいる。これまでになかった新しい感覚です。
 開智未来にいる時は、生徒たちの世界にどっぷりと浸かって、この生徒たちをどのように伸ばすか、教育はどうあるべきかということを考えます。開校準備から今年の3月まで8年間、麻から晩まで四六時中、まさに、寝ても覚めても開智未来のことを考え続けていました。休みの日もです。
 四月から、3人の自分が私の中に生きています。開智未来の私、大学の私、そして、休みの日の私です。
 校長という職、つまり、立場を離れたので、休みの日は、生身の自分になっています。妻と散歩を楽しみ、草を取り、畑を耕し、自転車を楽しんでいます。ダンスで自分と向き合い、ギターに挑戦し、詩作に励み、絵画を再開し、読書に親しむ。新たな自分づくりに専念しています。
 これまでは常に一人の自分として生きてきたので、3人の自分を調和させて熟成させるには、もう少し時間が必要でしょう。自分の新たな発達段階を楽しみたいと思っています。
 職業人として、妻として・夫として、親として、そして、私として。誰もが複数の自分を生きています。そんな当たり前のことに61歳になって初めて直面しています。
 ふと、高校時代に世界史の授業で習った「三位一体」という言葉を思い出しています。
 これから大宮で塾説明会を行って、そのあと柏市の大学へ行ってきます。今日は「二位一体」の日です。

天の道

 今日は中学校の体験入学がありました。顧問となって初めての「小学生サプリ」でした。
 真剣な面持ちで一生懸命にメモをとっている小学生たちの姿を見ながら、このようなサプリを行える幸せを感じています。私自身が成長しつづけ、元気に前向きに生きている姿を子どもたちに見せられるうちは、このサプリを続けたいと思っています。
 これまで、校長としてサプリを続けてきましたが、これからは一人の人間として、先を生きる大人としてサプリを行っていくことになります。ですから、これまで以上に、私の生きる姿勢、生きる質が問われるでしょう。
 先日、「功遂げ身退くは、天の道なり」という言葉に接しました。
 これは『老子』の中にある言葉です。私が開智未来の校長として「功を遂げた」とは思いませんが、天の道にかなうように校長を退きたいと考えています。
 「天の道」のサプリ。
 楽しくなってきました。やはり、人間というものはいいものですよね。

孤独を楽しむ

 先日のメッセージに書いたように、立場を離れると「生身の自分」が浮かび上がってきます。校長を退任して、これからは生身の私が問われると感じています。
 さて、ここ2週間ほど自転車にハマっています。というのは、5月中旬にロードバイクを買ったからです。妻が退職を機に自転車を買いたいというので、しぶしぶと私も付き合うことにしました。
 予感はしていましたが、案の定、私の方が熱中しました。1時間半ほど時間があると、家を出て、見沼用水沿いのサイクリングロードや利根川へ足を伸ばします。
 どうしてこんなに私は熱中してしまったのだろう。
 理由は2つありそうです。
 一つは、自分の足の力だけで何十㎞も動き回れること。自分の機能が拡大したことを実感できるからです。
 もう一つは、孤独になれること。一人で黙って自分の内面と向き合えるから。自分を中心に360度の眺望を眺めて、この世界の中に一人存在する自分を感じられるから。全身で風を感じることができるから。孤独と言うと、「淋しい」というイメージがありますが、孤独とは「一人の個人である自分を実感して生きること」だと私は考えています。
 「淋しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた、一人で生きていく覚悟である」
 「孤独上手は中年から本領を発揮する」
 先日読んだ『極上の孤独』(下重暁子著、幻冬舎新書)からもぎ取った一文です。ちなみに、下重暁子氏は元NHKアナウンサーで、硬質の透明感のある文章を書きます。男性には書けない凛々しい文章です。オススメです。

背中

 校長という立場から離れ、肩にかかる重荷が取れると、今まで気付かなかったこと、考えなかったことが見えてきます。自由と言ったらよいのでしょうか、自在といったらよいのでしょうか。これまでとは違った楽しみを感じながら開智未来を過ごしています。新鮮な気持ちです。
 同時に、校長という立場を離れると、生身の自分と向き合うようになります。校長としてではなく、関根としてどのように生きるか。自分が色濃くなったような気がします。
 4月からは、月曜日・木曜日・土曜日は開智未来で、水曜日と金曜日は千葉県柏市にある開智国際大学で勤務しています。火曜日は週休日です。新たな生活のリズムです。
 さて、昨晩、NHKで「背中」に関するテレビ番組を見ました。どのように「いい背中」をつくるか、背中を動かすか、背中で表現するか。昨年から「ダンサーになる」と公言している私にはとても興味深い内容でした。
 肩書きなしで、どのような背中を見せられるか。
  貧相だと言われないよう、生徒たちに幻滅されないよう、さらに成長したいと思っています。