顧問感覚

コモンセンス

土壇場の幸せ

 今日は『月刊高校教育』の原稿締め切り日でした。
 言い訳なのですが、猛暑で苦労しました。朝早く涼しいうちに原稿を書こうと、4時に起きて頑張ってきましたが、すでに気温は30度近く、おまけに蝉も鳴き出してきて、筆はまったく進みませんでした。通常は、締め切りが迫ると寝ている間に論理展開や文章が浮かんでくるのですが、こちらも熱帯夜でまったく夢にすら出てきませんでした。
 しかし、神様は私を見捨てなかったようです。今朝は気温が27度、蝉が鳴き始めたのは4時40分で、寝ている間に文章も浮かんできて、4時から10時までの6時間で一気に書き上がりました。
 この状態を、私は「神が降りてくる」と表現していますが、どうして人間というものは切羽詰まらないと神が降りてこないのでしょうか。
 それでも、お尻に火がつくと必ず神が降りてくる。このことが自信となって、さらには「自分は逆境に強い」と変に論理を飛躍させて、自分の支えとしています。
 脳というものは不思議なものですね。
 活性化してフル回転すると気持ちいいほどに信じられない力を発揮します。ただ凡人は、切羽詰まって崖っぷちに立たないとその状態にはなりません。天才は常に脳が活性化しているのでしょう。
 神が降りてこなくなったら、私の知的活動は終わりかな。
 もう少し、土壇場を楽しみたいです。

猛暑を制する

 熊谷で41.1度を観測し、国内最高気温を更新したとのことです。日本の天候は一体どうなったのでしょう。
 開智未来の気温はどうなのかと思い、アップルウォッチのAIに「今の外の気温は?」と尋ねると、「ああ寒い、39度です」と答えました。思わず聞き間違いかと再度尋ねると、やはり同じ答えです。ついにAIがジョークを言うほどの猛暑なのか、と思ってしまいました。
 さて、今朝の「学びのサプリ」で学力を上げる条件として、「暑さに強い人間になること」を示しました。
 この夏の暑さは来年度以降も続くでしょう。この暑さに負けないことが成功の条件になるに違いありません。暑くてもがんばれる人間。もちろん、一日中エアコンに入っていればいいのですが、それでは自然の脳の働きが弱まるような気がします。また、冷房の部屋の中で動かないでいれば、夏以降体調を崩すはずです。
 今、私は次のようなことを実行しています。
 夕方や早朝の涼しい時間に外気に触れて積極的に身体を動かす。
 暑い日中も、短い時間、温泉に入ったような気分で外気に触れる。
 汗をかいたら水分や塩分の補給に努める。
 栄養のバランスのよい食事をとる。
 暑さを避ける、という消極的方法だけでは強くなれません。あえて暑さに挑んで強くなるという積極的方法も大切です。猛暑という逆境も、さらに強くなる契機にしたいと思っています。
 厳しさや苦しさにあえて挑む。もちろん、科学的な知見を尊重する必要がありますが、これはすべてのことに言えますよね。
  暑さに強い人間を育てた学校が進学実績を上げる。
 そんな時代が来ると本気で考えています。

自分を選ぶ

 昨日と本日、さいたま新都心のスーパーアリーナで「彩の国教育フェア」が開催されています。これは埼玉県内の公立・私立高校が集まって、それぞれのブース(出店スペース)で学校の説明をするという催しで、開智未来も開校前年から参加しています。
 初めの頃は、知名度もなく、「……未来?」。未来という学校名にはなじみのない言葉が加わっていることもあり、奇妙な学校という印象を持たれたようです。
 ブースを訪れる人も少なかったので、私が「ミニサプリ」を大道芸人よろしく、会場で行って人を集めたものでした。昨日などは、混み合うというほどではありませんが、普通にブースの席は埋まり、開校8年目、ようやく新設校期間を終えたと実感しました。
 今年は顧問となったので、初めてサプリをせずに過ごしました。かわりに、学習アドバイスコーナーを設けて、希望者の相談にのりました。昨日は、7名ほど。生徒募集というより、私の趣味や貢献活動という感じです。いかがでしたでしょうか。本日も9時半から12時まで開設しますので、もしこのメッセージを読んで興味を持った方は、開智未来のブースまで来てください。お会いできることを楽しみにしています。
 さて、私はこの「彩の国教育フェア」という催しを、ずっと不思議に思っています。確かに一同に県内の高校が集まるのですから、一日で複数の学校の説明を聞くことができます。しかも、1対1の説明ですから、臨場感や接触感を味わうこともできます。しかし、セールストークという言葉だけの世界です。
 私は「スーパーアリーナ」という閉じた空間に1日いると、「物産市」や「お祭り」に来たような気持ちになります。盆踊りの舞台に、電灯を点した夜店の群。呼び込みの声がリズミカルに響き、べっこう飴の香りがどこからか漂う。家族連れ、友達と手をつないで、店々を覗き回る。
 それも楽しいことだし、子どもたちが世界を知る第一歩でもあります。
 しかし、祭のあとは、うら悲しさがあるものです。それに、自分の進む方向を「ちょい味見」しながら「消費」するのは、高校選びの本質から逸れているのではないか、と私は感じています。
 「ここでその高校が分かったと思ったら間違いですよ。実際にその高校に行って、学校や先生や生徒の姿を直接見てくださいね」
 ミニサプリでは、そんなことをずっと言い続けてきました。
 中学3年生の皆さん。
 高校を選ぶためには、まず自分を見つめること。これからどんな生き方をしたい。そのためにはどんな高校で学びたい。
 高校を選ぶということは、自分を選ぶということ。素敵な自分を目指してくださいね。
 では、会場でお会いしましょう。

3話連続で猛暑の話

 今日も猛暑。暑さで思考力が低下したからと言い訳をしながら、3日連続で暑さに関する話です。
 最近、天気予報やニュースで「命に関わる危険な暑さ」という表現を頻繁に聞きます。私も今夏の暑さはこれまでとは異なり、命に関わる暑さであると感じています。また、そのような発言もしていますが、連日、このフレーズをテレビで見聞きすると、違和感を感じてなりません。
 マスコミは人を煽りたがる。
 もちろん、学校では生徒の健康や生命を守るために、最大限の注意は必要です。開智未来でも部活動は2時間以内、場合によっては、気温や状況を踏まえて練習の自粛、顧問は生徒の体調管理に努め、即座に対応、等々の基本方針を確認しました。
 しかし、「命に関わるほど危険な暑さ」という言葉が、公の場で当然のごとく連呼されると、たしかに正論なのですが、脅迫じみて聞こえてしまいます。
 命に関わるほど危険な暑さだから不用な外出は避けましょう。命に関わるほど危険な暑さだからエアコンを付けましょう。
 さらに防災放送で放送されると、不気味な時代に逆戻りしたような気持ちにさえなります。
 正論はしばしば脅迫的である。
 そのような言葉をかつて聞いたことがあります。
 外で遊ぶことの少なくなった子どもたちが、「命に関わるほど危険な暑さ」により、エアコンの効いた室内で、長い夏休みをずっと過ごす。この子どもたちは外で生きられるようになるのでしょうか。
 宇宙船で他の衛星に移り住む。その衛星は巨大な人工プラスチックのドームに囲まれている。
 幼い頃に読んだSF物語の世界のようです。
 さて、猛暑でいいこともあります。
 強い日差しで木々の緑の色が濃くなっていることです。実際には、色が濃くなったのではなく、太陽光が強いため、影の部分が濃くなっているのでしょう。そして、影がくっきりすることで木々の立体感が増し、存在感が強まっています。
 むせ返るような存在感。
 それは影の部分がなせる業。
 暑さが存在感を生んでいます。それは人間とて同じ。
 そんなことを考えながら、開智国際大学へ通う車窓から、猛暑の夏を眺めています。
 暑さにまけないよ。にんげんだもの。
 相田みつを真似てみました。

西行の夢

 どこかおかしい。
 今年は、早い春が来た。桜は3月中に咲き切った。4月に30度を超えた日があった。6月中に梅雨が明けた。そして、7月半ばだというのに35度を超える日が続いている。
 これからどんな8月、そして、秋冬が来るのだろう。私たちの身に染みついた季節感覚を変更せざるを得ない日々が続いている。
 当の昔に、日本の四季は昔話になってしまった。10月まで続く残暑の後に、11月に冬の気配が訪れる。秋がなくなった。今度は春がなくなるのではないだろうか。
 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
 その如月の 望月のころ
 西行の夢は私の夢でもある。その夢を追うことができなくなったら淋しい限りだ。
 子どもの頃、打ち水をして涼を楽しみ、庭先の縁台で井戸水で冷やしたスイカを食べた。夜は蚊帳をつって大の字になって寝た。
 年寄りくさい昔話で申し訳ない。まさか自分が昔話をするとは昔は夢にも思わなかったが、半世紀が経ったということか。
 結婚したての頃、夕涼みで歩いた道すがらホタルを捕って、蚊帳の中に入れた。加須市のはずれの旧騎西町での生活だった。これは30年前の話である。
 夏という季節は、もはや、サバイバルの季節になってしまった。
 テレビのニュースや天気予報でも、「クーラーを使え」とのこと。命を守るためである。
 逆に言えば、機械に頼らなければ生きていけなくなったということだ。
 電車の中のスマホに取り憑かれた姿を見ると、すでに人間が機械に従属する時代になっているのだろう。
 どこかおかしい。
 そうは思いつつ、この非現実的な暑さという「現実」の中で、人間としての生き方を模索しなければならないと考えているところである。

怒れる神

 午前中は日能研上尾校で学校の説明と親サプリ、午後は開智国際大学です。
 午後1時、炎天下の中を柏駅から大学へ、徒歩30分。日陰を選んでゆっくりと歩いたのですが、大学に到着するとシャツもズボンも汗でびっしょりになってしまいました。
 今から20年近く前、埼玉県教育委員会の指導主事だった頃、県内の高校生を引率してマレーシアに行ったことがあります。時期はちょうど今頃で、熱帯の夏を体験できることが私の最大の関心事でした。なぜなら、小学校の社会の授業では、日本は温帯と教わっていて、熱帯の夏のとてつもない暑さ夢想し、興味をもっていたからです。
 現地の高校を訪問して、昼食後校庭に出ようとすると、「こちらでは日中は外で教育活動は行いません」と言われました。それでも外に出て、「これが熱帯なのか」と照りつける太陽の強さに感動したことを覚えています。
 しかし、ここ数年、あの時のマレーシアの高校の校庭よりも、日本の方が暑いのではないかと思うようになりました。
 炎天下に歩こうと思ったら、シャツやズボンの替えが必要のようです。私が60年間抱いていた、日本の夏の感覚も変えなくてはならないのかもしれません。
 小学1年生の児童が、野外活動において熱中症で亡くなったというニュースを聞きました。20代の女性教員が、「疲れた」と言う男児を「頑張ろうね」と手を引いて、公園で30分ほど虫捕りや遊具遊びをした後に、学校で児童は意識を失ったとのことです。
 「暑いけど頑張ろうね」と児童の手を引く小学校の先生。
 その懐かしい教育の風景は、今の日本の気候にはもう成立し得ないのですね。
 親も悲しい。先生も悲しい。本人も悲しい。
 「日本の太陽の神様よ。なぜこんなに残酷になったのですか」
 空を仰いで、照りつける太陽に向かって、問い詰めたくなりました。
 怒れる神。
 誰が、神を怒らせてしまったのでしょうか。

答えの無い問い

 夏は好きな季節だったのですが、はじめて暑さ対策を本気でしなければならないと考えています。
 その方策の一つが朝涼しいうちに活動すること。今日から4時前に起きることにしました。にもかかわらず、すでに蝉が鳴いていて、けっして涼しい朝とは言えませんでした。
 昨日紹介した田坂広志氏の『知性を磨く』(光文社新書、2014年)を読み始めました。すでに一度読んだ本ですが、一人の著者の作品を続けて読むのも、一人の人間の思索のプロセスや全体像を知る上でいい方法だと思います。
 「『知能』とは、『答えのある問い』に対して、早く正しい答えを見出す能力。『知性』とは、『答えの無い問い』に対して、その問いを、問い続ける能力」
 なかなか深い指摘ですね。
 「問い続ける能力」という部分がポイントです。刹那的に考えても意味はありません。ずっと考え続けることに意義があります。
 最近、「答えの無い問い」を考えることの重要性を多くの人が指摘しています。流行になっているのが気がかりです。
 たしかに、社会の諸問題は、大学入試問題のように、予め出題者によって正解が用意されてはいません。しかし、正解はないからといって、各人が勝手に答えを出して、「人それぞれ、どれも正解だよね」では困ります。より正しい答えはありますし、また、より正しい答えを導くための思考方法があります。正しい答えに辿り着こうとする努力は軽視されてはなりません。
 浅い考えと深い考えがある。
 そのことを忘れてはなりません。だから、「問い続けること」が大切なのです。
 それにしても、深く考えるには猛暑すぎますね。
 暑さ対策が必要です。どうやって過ごしたらよいでしょうか。あまりの暑さなので、「答えの無い問い」のような気がします。

自分の中に住む自分

 里山での話です。
 里山フィールドワークを通じて、杉山みどりさんという文筆家と知り合いになりました。自著を何冊か出版していて、雑誌等にも文章を掲載しています。私より2歳年下で、飯山市に住むようになってから10年という方です。
 ご主人とキャンピングカーで住む場所を探して日本中を周り、この飯山市戸狩の地に来て、「ここだ!」と直感して定住することに決めたそうです。私もフィールドワークの地を求めていくつかの地方をまわって、この里山に来たときに「ここだ!」と飛び跳ねて驚喜しました。まったく同じ経験だったので、すぐに意気投合し、それからの仲です。ご主人や上種館のお父さん・お母さんの話では、彼女と私はよく似ているとのこと。八方に興味をもって、すぐ熱中するところは、たしかに同じ種類の人間だと思います。今は漢方薬の勉強仲とのことで、富山大学に学びに行き、必要な中国語とラテン語を独学で学び、化学の勉強も基礎から学び直しているとのことです。同種とは言え、感心・驚嘆の限りです。
 今回のフィールドワークでも、私を訪ねて上種館に来てくれました。校長を退いて新しいことにチャレンジしている旨を伝えると、嬉しそうでした。
 「あなたは、自分の中に自分が住んでいる人間だから、サプリを書いた人なのだから、下野しなさい」
 言葉感覚を持った彼女のことですから、政治的な「下野」という意味ではないでしょう。広々とした野を走り回れ、ということなのでしょう。
 「自分が変人であることを自覚していますか」
 彼女は、私を変人呼ばりして憚りません。
 「変人なのだから、人のために生きなさい。自分の小さな世界で安住してはなりません」
 まったく突然の忠告で、少々戸惑いましたが、何らかの危惧を直感したのでしょう。直感力の鋭い方です。
 それからずっと彼女の言葉が頭の中に留まっています。
 「自分の中に自分が住んでいる人間」
 不思議な言葉です。誰もがそうではないでしょうか?
 まずは、この夏休みは、1日1冊の本を読んで、自分の中に住む自分を成長させよう、という目標を定めました。
 そこで昨日読んだ本を紹介します。
 『東大生となった君へ-真のエリートへの道』(田坂広志著、光文社新書)
 一昨日紹介した本です。
 「いま、世の中は、寂しい価値観がはびこる『競争社会』。耳に入ってくるのは『生き残り』『勝ち残り』『サバイバル』という底の浅い言葉の大合唱」
 「あなたにとっての『人生の成功』を定義しなさい」
 オススメです。

開智未来の夏休み

 今日は午前中は大学。午後は開智未来の職員会議が2時からあるので、11時過ぎに大学を出発して開智未来に向かいます。
 今日は1学期の終業式ですね。里山へ行ったり、大学で勤務したりと落ち着かなくて、開智未来の生徒たちの雰囲気はつかめませんが、明日からは夏休みです。
 ある学年の哲学の授業で生徒たちに次のように話したことがあります。
 「開智未来は終業後に前期の夏期講習があり、2学期の始業式の前に後期の夏期講習があるため、夏休みがいつからいつなのかはっきりしません。夏休みを休日と考えれば短いと思う人もいると思います。私は開智未来の夏休みは各自が決めるものだと考えています」
 夏休みとは学校の休みである期間ではなく、授業がない日々に自分がやりたいことを行う期間、自分の計画したことを意識的に行う期間、つまり、何をしようか、何がしたいか、その目的によって定められる期間、と私は考えています。
 ですから、目的のない人には意味ある夏休みは存在せず、目的のある人には終業式前から夏休みは始まっているのです。
 これは人生にも当てはまることですね。
 意識的に生きた時間が、生きた時間、つまり、人生である。
 そして、夏休みはミニ人生ですね。
 目的をもって意欲的に過ごせば、充実した夏休みになります。なんとなく怠惰に過ごせば、ただの過ぎた時間のかたまりに過ぎません。
 開智未来生の皆さん。人生の準備運動をしてくださいね。それではいい夏休みを。

美意識

 昨日、里山探究フィールドワークの閉村式で生徒たちに次のような話をしました。
 「何かを終えた時は何かを始める時です。いつまでも余韻に浸ってはなりません。すぐに次の一歩を踏み出すことが大切です。私は今日家に帰ったら、自転車に乗りたいと思います。また、4日間本を読まなかったので本を読みたいと思います。明日の朝はいつものように4時過ぎに起き、勉強を開始したいと思います。次の自分の一歩になるような勉強です」
 実際に、昨日は5時45分に帰宅し、顧問からのメッセージを書いて、時間がないので6時40分から40分ほど自転車に乗りました。13.5㎞。おかげで山歩きで発症した腰痛も治りました。
 今朝は4時半に起床し、いつものようにコーヒーを入れ、2種類のヨーグルトをブレンドして食べ、昨日久喜駅で電車を待っている間に買った本を読み始めました。購入した本は2冊。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(山口周著)と『東大生となった君へ:真のエリートへの道』(田坂広志著)、共に光文社新書です。前者を昨日から読み始めています。
 山口氏によれば「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」、つまり、「正解のコモディティ化」という問題が露呈してきたとのことです。コモディティとは英語で日用品、生活に必要な必需品という意味で、論理的に考えると、誰もが同じような結論に至ってしまうことです。まだ読み始めたばかりなので私の勝手な想像ですが、「そのために美意識が必要である」ということなのでしょう。
 もちろん、論理的・理性的に思考することで、正しい正解へたどり着くことが出来ます。だから、入試問題も成立するわけです。一人一人違う答えになったら正解はなくなり、点数を付けて合否を決定することはできませんから。しかし、世の中は、それほど単純なものではありません。一人一人の価値観もあります。多様性や個性は重視されなければなりません。
 では、各人の価値観や個性は、それぞれ勝手に主張できるのでしょうか。「私がいいと思ったから正しい」では子供じみています。そこで必要となるのが美意識だと私は考えます。昔から価値の3要素を「真・善・美」としてきました。真とは「正しさ」、善とは「よさ」で、特に「真」は現代で最も重視されているものです。「善」も、人間的正しさ、人間や心の良さということで、大切にされています。しかし、「美」はあまり見向きもされなくなりました。
 最近、私は「芸術」の大切さを生徒に訴えています。そのことと通じているように思います。多分、この本のテーマとは異なると思いますが、「私の生き方は美しいか」、「私の言葉は美しいか」、そういう問いかけが大切だと私は考えています。
 里山で生徒たちは多くのことに感動しました。「五感、もぎとり、感動」。生徒たちが暗唱したキーワードの一つです。自然を見て感動する。その奥底にあるのが美意識ではないでしょうか。
 久しぶりに座った自室の机から、手を伸ばせば触れられるところに、葡萄棚があります。だいぶ大きくなった黄緑色の葡萄の実は本当に美しいものです。弱音を吐かずに山道を登る生徒たちの姿も美しいものでした。
 どうやって美意識を育てるか。それは身体と結びついています。五感でもどきる力、身体で感動を表現できる力。里山探究フィールドワークで8年間追い求めてきたことは、かなり本質的だったのかな。自画自賛の手前味噌をちょっぴり舐めてながら、フィールドワークを終えた心地よい疲労感・安堵感と、あらたなスタートのワクワク感を味わっているところです。