顧問感覚

コモンセンス

後半期へ

 台風一過。一昨日は天気は快晴でしたが、台風の置き残した災禍により交通機関が乱れ、午後は放課となりました。準備していた哲学や早朝講座の「学びのサプリ」を実施できなくて、肩すかしの1日でした。
 さて、昨日は週休日で、午前中は自宅の庭や畑の後片づけをしました。ゴーヤ棚は柱が折れ、モロヘイヤや紫蘇はすっかり倒れていました。その他にも、コスモス、皇帝ダリア、バラ、その他の草花も整えました。
 ゴーヤとモロヘイヤは時期が終わったので、これを機に引き抜きました。ゴーヤは120個ほどの実を付け、8月・9月は1週間に5日以上食卓に登場し続けました。ちなみに昨年は200個以上の実をつけました。今年の夏は、猛暑のせいかゴーヤもミニトマトも実のなりが悪く、それに比べモロヘイヤは見事に壮大な林となり、強靱な生命力を発揮しました。
 私の自室から眺められる、庭の中にある小さな畑は、これで、2本のナスの木と満願寺唐辛子1本を残すのみとなりました。目前の葡萄棚も、本日最後の1房を採り、夏の風景はほとんど消えてしまいました。畑の端にある柿の木は、ほのかに実が色づき始めました。
 一年を通して畑を窓から見渡し続けていると、この畑の様相が人生のように見えてきます。
 春から夏にかけての、成長していく野菜の、まばゆい光景。生徒たちを見ているような気分ですね。
 今日は10月3日。大学で勤務です。平成30年度も後半期になりました。

チーム・みらい

 今日は大宮のソニックシティで塾説明会。その後、柏市に移動して開智国際大学の教授会です。
 塾説明会では加藤校長と藤井教頭のあとに「補助的な説明」をしました。リレーの第3走者のような役割で、二人がトップでつないできたバトンを受け取り、最年長者として気持ちよく走らせてもらっているという感じです。
 ちなみに、最終走者は西木広報部長で、私が他チームに抜かれたとしても彼が抜き返してくれる、という設定です。
 昨年までは、自分の力でリードしなければと肩に力が入って、思ったような走りができませんでした。今年は余裕を持って、自分のフォームを意識しながら、時には競技場の風景も楽しみながら走っている感じです。
 今日の塾説明会にきていただいた方には、このリレーチームのバトンパスの見事さを見ていただけたと思います。いかがでしたか。チーム名はもちろん「チーム・みらい」です。
 ところで、昨日の詩の最後の1行ですが、訂正したいと思います。
 「君は「樹」となれり。」を「君は「樹」とならむ。」と変えてください。孫はまだ1歳で、これから「樹」になるのですよね。
 歳を積んで君は樹になるんだよ。きっと立派な樹になるに違いない。
 次の世代に夢を託すのは気持ちいいことです。開智未来の未来も楽しみです。

身の程知らず

 私事ですが、今日は2番目の孫の1歳の誕生日です。
 孫の誕生日に詩をプレゼントしようと思い立ち、6月の孫娘の「涼蘭」の5歳の誕生日に引き続き、二度目の「birthday poem」をつくりました。
 爺バカと言われそうですが、孫を利用して、自分の詩を発表する機会にするという、邪な動機の方が強いようです。
 さて、今回の詩です。
☆  ☆  ☆
「寿樹」
黙していた種子は
双葉となってそっと笑い、
若葉となって風とおしゃべりを始め、
若木となって陽を浴びて天に向かい、遊ぶ。
ときには嵐にあらがい、ときには雪の重みを楽しみ、
十の堅強な枝を持ち、
百尋に葉を茂らせ、
千の実を結んで、壮木となり、
万世のうちの有期に、
寿を積みて
君は「樹」となれり。
☆  ☆  ☆
 下手でも、詩という言葉の形式を、昔の和歌のように、メッセージを伝える手段とする。それが日本の文学の始まりだったのではないでしょうか。
 具体的な誰かに伝えること。その現実性のなかに、人間の感情・感性、そして、言葉が発生するものである。 
 身の程知らずですが、身の程をしらないからこそ楽しめるのだと悟っています。

胡蝶の夢

 一昨日が久喜市の塾での勉強サプリ、昨日が高校の入試講座での「中学生勉強サプリ」と「親サプリ」、そして、今日が中学体験授業での「小学生サプリ」と「親サプリ」と、3日連続で5回のサプリを行いました。
 楽しかったです。最近は保護者の方も私よりだいぶ年下になったので、どのサプリも、聞き手のためになるように、と「やさしい気持ち」になって行っています。そして、楽しんで行えるようになりました。少々熟成してきたのかもしれません。
 サプリは、平成17年に県立高校の教頭時代、高校生対象の「学びのサプリ講座」として始まりました。頭の良くなる方法からスタートしてきましたが、だんだんと生き方の比重が高まり、この頃は、「幸福」というものを意識して行っています。
 いかがでしたでしょうか。
 特に、今年から校長という役割から解放され、より自然体に、サプリの生き方を行えるようになりました。
 私の頭の中でつくったサプリが、私の身体の一部になっている。
 そんな感じです。
 私がサプリなのか、サプリが私なのか。
 これって『荘子』にある「胡蝶の夢」の話のようですね。
 唐突ですみません。以下、インターネットの「コトバンク」の引用で説明します。
 「荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという『荘子』斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ」
 胡蝶になって、次の世代に何かを伝えたい。
 「こちょう」と「こもん(顧問)」。ちょっと似ている言葉かな?(いえ、「こ」で始まるしか共通点はないようですね)

苦しみへのチャレンジ

 1週間以上お休みしてすみません。
 『月刊高校教育』の原稿書きがあり、このメッセージの文章を書く余裕がありませんでした。この連載も今年で10年になります。毎月、原稿用紙11枚のマス目を埋めるのに四苦八苦して、毎回、連載を止めようといつも思っているのですが、産みの苦しみを経て書き上げると、また頑張ろうかという気持ちになって、こうして続けています。
 これが男にはわからない母親の気持ちなのでしょうか。
 苦しいことというものは、苦しんでいる時は辛いのですが、それを乗り越えてゴールに達成すると、快感につながるものです。逆に、苦しみのない達成は味気ないものです。
 それでも苦しみから逃れたいと思うのが人情。困ったものです。
 最近、前よりも苦しいことが苦手になってきました。これを老化と呼ぶのでしょうか。困ったものです。
 さて、9月が終わると今年度も後半戦に突入します。
 「苦しみへのチャレンジ」
 これを後半戦のテーマにしようと思います。
 肉体系では、プレ合格祈願走。こいのぼりマラソン参加。ダンス発表会参加。合格祈願走。
 頭脳系では、エンパワープログラム参加。授業サプリ執筆。開智教育研究所の青写真づくり。
 前向きにチャレンジする姿を開智未来生に見せるのが私の仕事だと思っています。

深化・進化

 今日は大学に出勤の日です。柏駅から2キロメートルほど歩くので、Dパックを背負い、最近はハイキング用のシューズて通っています。
 往復で約2時間。電車には待ち合わせ時間も含めて片道1時間20分ほど乗ります。車中を有効に使おうと、座れば読書やメモに専念し、立っているときは考え事をしています。ホームで電車を待っているときはウォークマンで音楽を聴きながら、人知れず踊っています。きっと不気味なオヤジに思われていることでしょう。ちなみに、今日は Ed Shearan の『÷(ディバイド)』で踊っていました。一見ヤバい人です。
 昨日から『唯脳論』(養老孟司著、ちくま学芸文庫、1998年)を読んでいます。養老氏は私の20歳上ですから、彼が今の私の歳に出版した本です。一読スゴい本です。ずっと遙か遠く、彼方の存在です。もともとサプリは養老氏の考えも取り入れているのですが、最近、養老氏の凄さがさらにわかってきました。少しは成長したのでしょうか。
 「あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり、脳の産物に他ならない」
 「現在われわれを捕らえているのは、現実と化した脳である」
 テクノロジーの発達で、私たち人間は、脳の中で想像してきたことを現実にしてきました。空を飛ぶ夢、腕時計で人と話をする夢、時間と空間を超えて誰とでも話ができるという夢。みんな現実になりました。脳で考えたイメージはCGであたかも現実のように画像化されます。ネットという人工的な世界は若い人たちにはすでに現実空間となっています。
 まさに、脳が現実となっているのです。
 しかし、それは本当に現実なのでしょうか。
 氏は「現実とは、われわれを制約するもの」であると述べています。人間は、自分ではどうにもならないこの現実と向き合い、時には抗い、時には屈服されてきました。しかし、脳によって生み出された人工物という現実は、われわれを制約から解き放しました。何でもできるのです。
 人間を制約をしない現実は、本当の現実なのでしょうか。
 私はここで身体に注目します。身体には制約があります。がんばっても50メートルを4秒では走れない。思ったように踊ることはできない。思ったようにギターは弾けない。絵を描くことはできない。そうやって不便な中で現実を取り戻すことが大切なのではないでしょうか。
 そうして、身体を鍛えれば、絵やギターの腕を上げれば、できなかったことができるようになり、私の現実は広がっていきます。脳で空想上の世界を思いのままに広げても、生きた気分にはならないと思うのです。
 現実に制限された人間にこそ、その身体の開発で、一人一人の意味ある世界を持つことができる。
 朝、野田線で考えたことです。
 読んでは考え、読んでは考える。
 サプリをもっと深化・進化させたいと思っています。

英語・世界へ(3)

 2日ぶりに開智未来で勤務しています。やはり、開智未来生と直接関わる仕事は楽しいですね。
 木曜日は始業前に東大ゼミの先端コースの講座があり、14名の中学3年生と一緒に『菊と刀』を英文で読んでいます。この先端コースは昨年度から開講しているもので、英検2級以上を取得している中学3年生に、ちょっと背伸びをして全国レベルの学びを目指したゼミです。
 ちょうど天皇が話題となったところだったので、「日本人にとって「天皇」とは何か?」について考えました。
 「このことを外国の人にどのように伝えますか。日本人ではありませんから、『そーだよね』では通じません。丁寧に説明しても文化の違いから相手はなかなか理解してくれません。理解したとしても納得してはくれないでしょう。その時、どのように論じていきますか?これは単に英語力の問題ではありません」
 世界と関わるということは、もし本気で関わろうとするなら、いいかげんに相づちを打つのではなく、相手の考えを真剣に理解し、自分の考えをねばり強く伝えることが大切です。そんな思いで生徒たちに問いかけました。
 真剣に聴いている生徒たちと接して、自分も背筋を伸ばして生きなくてはという気持ちになります。
  「英語・世界へ」というテーマで3日連続でこのメッセージを書いてきましたが、英語力は後からついてくるもの。やっぱり「飛び込む勇気」ですね。じっくりと考えて覚悟をもって飛び込むのもよし。軽いノリで入り込むのもよし。動き回ったからこそ見えてくる世界、入り込んだからこそ五感で感じる世界が現実世界なのでしょう。
 「エンパワープログラム」の宣伝を連日書きました、このプログラムに多くの生徒が飛び込む、そんなパワーのある学校に開智未来がなることを私は夢見ています。
 もし生徒たちが嫌がらなければ、いい歳でお邪魔かもしれませんが、私も同じ条件の生徒の一人として、萎れかかっている勇気に息を吹き入れて、プログラムに飛び込みたいと思っています。

英語・世界へ(2)

 昨日から「英語・世界へ」について考え続けている。
 「エンパワープログラム」の内容を見ると、1日目のテーマは「ポジティブ」である。まず姿勢を育てて、2日目からは「社会問題を解決するためのスマホアプリを考案しよう」や「20年後に出現する今はない新しい仕事を想像しよう!」を一緒に考えるプロジェクトがある。また、「世界にどのように貢献していくか、そのために何をすべきか」についての個人スピーチもある。
 英語を使うだけではない。英語を使うための姿勢を学ぶように出来ている。それを5~6名に一人、優秀な海外学生がついてディスカッションしていく。日本に飛び込んできた、意識の高い若い海外の人たちと接することは、普段の学校生活では体験できないことである。
 私は開智未来生に、勇気をもって参加してほしいと願っている。
 「どうせ私は将来英語を使わないから」「私は英語が苦手だから」
 自分の未来を切り拓く勇気をもってほしい。
 そういう私自身が勇気がなかったではないか。
 「エンパワー」とは「力を与える」、さらには「勇気づける」という意味の言葉である。昨日から英語の勉強を再開した。何を英語で語りたいか。外国でも通用するためにこれから何をすべきか。答えを出すにはもっと力が必要である。

英語・世界へ(1)

 今日は常体で書きたい。自分を突き放して考えたいと思ったからである。
 9月1日(土)に行った「共育講座:大人のサプリ 2018」(テキストはフィリアにアップしてあります)でこれからの30年の生き方について述べたが、意図的にそっと消したことがある。お気づきになられただろうか。
 「英語・世界へ」というカテゴリーである。アスリートになる、アーティストになる、哲学者になる、という夢は描いたが、世界に進み出るという夢、そのことに伴って英語を身に付けるという目標が消えている。
 開智未来の校長時代、私は英語の勉強に、相当な時間をかけた。カナダやワシントン、そして、ブリティシュヒルズに一緒に行くからである。国際社会に貢献するリーダーになるためには、英語を使えるようにならなければならない。
 校長も率先して行う-これが私の信条であったから、かなり勉強した。
 しかし、やはり英語は苦手である。あれほど勉強したのにものにならない。特に、聴き取る力は決定的に劣っている。聴き取れないと言っても過言ではない。校長を退いて、英語を使う必要性もなくなり、英語の勉強をそっと辞めていた。正直、肩の荷が下りてほっとしていた。
 私は「大人のサプリ」で「自分を始末する方法・自分を全うする方法」として「罪滅ぼして恩返し、取り返しては夢叶え、跡を濁さぬようよう整理して、行李一つ残して自分を全うする」というスローガンを掲げた。
 その中の「取り返し」とは「できなかったこと、やり残したことを行う」ことである。私の最大の「取り返し」は、英語である。受験勉強も含め、中学・高校・予備校時代と相当量の英語学習をした。しかし、話せるようにならなかった。正直のところ、あれほど費やした時間・努力は大学受験にしか役に立たなかった。
 その英語をこのまま終えていいのだろうか。
 たしかに、無駄になるかもしれない英語にかける時間と労力を別のことに用いれば、相当なことを達成することができる。しかし、「やっぱり、英語だけはダメだったな」と末期に自分を振り返るのも口惜しい。
  「英語・世界へ」という夢をなぜ諦めようとしているのだろう。
 英語が苦手なことが本当の原因ではない。「世界へ」向かう勇気がないからだ。そして、世界に通用する哲学・生き方を確立しようという意気込みがないからだ。
 井の中の蛙大海を知らず。小さな世界に逃げ込んでいるからだ。これを「意気地なし」と言う。
 翻って考えてみる。私は世界へ向かって訴えたいこと、他の国の人と言い争っても主張したいこと、他の国の人と一緒に考えたいこと、一緒に創り上げたいことはないのか。
 日本人であること、日本の文化。日本の教育実践文化。近代欧米思想に対抗する多様な考え方を掘り起こして示すこと。
 これらのことを自分のライフワークにするならば、「英語・世界へ」から逃げてはならない。達成できるかどうか、が問題なのではない。「逃げてはならない」ことが重要なのである。
 さて、本年度、加藤校長・藤井教頭となって、「エンパワープログラム」を実施することになった。国内で英語を使い、世界へ踏み出すプログラムである。費用も3万9千円と海外に行く場合の10分の以下である。しかも、海外へ行くより英語を話す時間が多い。
 このプログラムでは英語を話すだけでなく、世界に通用する考え方を学ぶことができる。それ以上に、世界に向かって生きる姿勢を学ぶことができる。海外の優秀な学生と、1日6時間を3日間、コミュニケーションを取ることができる。素晴らしい企画である。
 多くの開智未来生たちに勇気をもって参加してほしいと思っている。私のようにあとで後悔しないように……。いや、私も負け犬で人生を終わらせてたまるか。
 私も「英語・世界へ」を再び掲げることにした。開智未来生たちと一緒に世界に向かっていきたい。一緒に新たな世界を見てみたいと思っている。(つづく)

成長

 未来祭明けの今日は、午前中が片づけで午後から授業でした。私も5時間目に中学1年生の「哲学」がありました。
 生徒たちはすでに気持ちを切り替えていました。きっと昨日、清々しい朝を迎えていたに違いありません。
 哲学の授業の今日のテーマは「振り返ること・抽象的に考えること」。「言葉の第8期生」と里山探究フィールドワーク後に名付けた中学1年生たちに、言葉に焦点を当てて授業を行いました。
 「抽象的とはどういうことですか。言葉で定義しなさい」
 こんな課題を出しました。
 「わからないから書けないではいけません。どんなことでも考えたことを言葉にしてノートに書いてください」
 わからないと考えることを途中で断念して、ノートに書かない生徒がいます。高校生になると考えるのが面倒だから、「あとで先生が答えを言うまで待とう」と何もしない生徒が増えてきます。
 「各グループで全員が何かを書けたところは互いに発表する『学び合い』を始めてください」 うまい方法が閃きました。このように指示をするとどうにか必死に考え始めました。
 「それでは『振り返る』とはどういうことですか。3つ書きなさい」
 とても難しい質問です。大人は「振り返りなさい」「反省しなさい」と、子どもたちに問いただします。しかし、振り返るとはどういうことか、反省するとはどういうことかを説明しません。それでも強く求めてきます。私も小さい頃、先生に反省しなさいと言われて、一体何をしたらいいのかと思ったことがあります。
 大学3年の時、教育学部の主任教授から「問題意識を持て」と言われて、同窓の仲間と「問題意識を持つとはどういうことかを研究しよう」と、その主任教授を特別講師に招いて、揶揄気味に勉強会をもったことを思い出します。
 大人は、十分に考えずに子どもに要求するから、子どもは育たないと私は思っています。
 生徒たちは必死に考えて、あれこれとノートにその定義を書いています。それらを眺めながら、5種類の「振り返り」を示しました。
 「思い出すこと、反省・課題を考えること、成長したこと・出来るようになったことを確認すること、パーフェクトにすること、次に何をするかを考えること」
 実は、5番目の「次に何をするかを考えること」はある生徒の答えを見て参考にしたことです。
 かなり難しい内容ですが、私の説明をしっかりと聴いています。
 言葉そのものが抽象である。
 1学期に比べて、だいぶ頼もしくなってきました。