顧問感覚

コモンセンス

西行の夢

 どこかおかしい。
 今年は、早い春が来た。桜は3月中に咲き切った。4月に30度を超えた日があった。6月中に梅雨が明けた。そして、7月半ばだというのに35度を超える日が続いている。
 これからどんな8月、そして、秋冬が来るのだろう。私たちの身に染みついた季節感覚を変更せざるを得ない日々が続いている。
 当の昔に、日本の四季は昔話になってしまった。10月まで続く残暑の後に、11月に冬の気配が訪れる。秋がなくなった。今度は春がなくなるのではないだろうか。
 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
 その如月の 望月のころ
 西行の夢は私の夢でもある。その夢を追うことができなくなったら淋しい限りだ。
 子どもの頃、打ち水をして涼を楽しみ、庭先の縁台で井戸水で冷やしたスイカを食べた。夜は蚊帳をつって大の字になって寝た。
 年寄りくさい昔話で申し訳ない。まさか自分が昔話をするとは昔は夢にも思わなかったが、半世紀が経ったということか。
 結婚したての頃、夕涼みで歩いた道すがらホタルを捕って、蚊帳の中に入れた。加須市のはずれの旧騎西町での生活だった。これは30年前の話である。
 夏という季節は、もはや、サバイバルの季節になってしまった。
 テレビのニュースや天気予報でも、「クーラーを使え」とのこと。命を守るためである。
 逆に言えば、機械に頼らなければ生きていけなくなったということだ。
 電車の中のスマホに取り憑かれた姿を見ると、すでに人間が機械に従属する時代になっているのだろう。
 どこかおかしい。
 そうは思いつつ、この非現実的な暑さという「現実」の中で、人間としての生き方を模索しなければならないと考えているところである。

怒れる神

 午前中は日能研上尾校で学校の説明と親サプリ、午後は開智国際大学です。
 午後1時、炎天下の中を柏駅から大学へ、徒歩30分。日陰を選んでゆっくりと歩いたのですが、大学に到着するとシャツもズボンも汗でびっしょりになってしまいました。
 今から20年近く前、埼玉県教育委員会の指導主事だった頃、県内の高校生を引率してマレーシアに行ったことがあります。時期はちょうど今頃で、熱帯の夏を体験できることが私の最大の関心事でした。なぜなら、小学校の社会の授業では、日本は温帯と教わっていて、熱帯の夏のとてつもない暑さ夢想し、興味をもっていたからです。
 現地の高校を訪問して、昼食後校庭に出ようとすると、「こちらでは日中は外で教育活動は行いません」と言われました。それでも外に出て、「これが熱帯なのか」と照りつける太陽の強さに感動したことを覚えています。
 しかし、ここ数年、あの時のマレーシアの高校の校庭よりも、日本の方が暑いのではないかと思うようになりました。
 炎天下に歩こうと思ったら、シャツやズボンの替えが必要のようです。私が60年間抱いていた、日本の夏の感覚も変えなくてはならないのかもしれません。
 小学1年生の児童が、野外活動において熱中症で亡くなったというニュースを聞きました。20代の女性教員が、「疲れた」と言う男児を「頑張ろうね」と手を引いて、公園で30分ほど虫捕りや遊具遊びをした後に、学校で児童は意識を失ったとのことです。
 「暑いけど頑張ろうね」と児童の手を引く小学校の先生。
 その懐かしい教育の風景は、今の日本の気候にはもう成立し得ないのですね。
 親も悲しい。先生も悲しい。本人も悲しい。
 「日本の太陽の神様よ。なぜこんなに残酷になったのですか」
 空を仰いで、照りつける太陽に向かって、問い詰めたくなりました。
 怒れる神。
 誰が、神を怒らせてしまったのでしょうか。

答えの無い問い

 夏は好きな季節だったのですが、はじめて暑さ対策を本気でしなければならないと考えています。
 その方策の一つが朝涼しいうちに活動すること。今日から4時前に起きることにしました。にもかかわらず、すでに蝉が鳴いていて、けっして涼しい朝とは言えませんでした。
 昨日紹介した田坂広志氏の『知性を磨く』(光文社新書、2014年)を読み始めました。すでに一度読んだ本ですが、一人の著者の作品を続けて読むのも、一人の人間の思索のプロセスや全体像を知る上でいい方法だと思います。
 「『知能』とは、『答えのある問い』に対して、早く正しい答えを見出す能力。『知性』とは、『答えの無い問い』に対して、その問いを、問い続ける能力」
 なかなか深い指摘ですね。
 「問い続ける能力」という部分がポイントです。刹那的に考えても意味はありません。ずっと考え続けることに意義があります。
 最近、「答えの無い問い」を考えることの重要性を多くの人が指摘しています。流行になっているのが気がかりです。
 たしかに、社会の諸問題は、大学入試問題のように、予め出題者によって正解が用意されてはいません。しかし、正解はないからといって、各人が勝手に答えを出して、「人それぞれ、どれも正解だよね」では困ります。より正しい答えはありますし、また、より正しい答えを導くための思考方法があります。正しい答えに辿り着こうとする努力は軽視されてはなりません。
 浅い考えと深い考えがある。
 そのことを忘れてはなりません。だから、「問い続けること」が大切なのです。
 それにしても、深く考えるには猛暑すぎますね。
 暑さ対策が必要です。どうやって過ごしたらよいでしょうか。あまりの暑さなので、「答えの無い問い」のような気がします。

自分の中に住む自分

 里山での話です。
 里山フィールドワークを通じて、杉山みどりさんという文筆家と知り合いになりました。自著を何冊か出版していて、雑誌等にも文章を掲載しています。私より2歳年下で、飯山市に住むようになってから10年という方です。
 ご主人とキャンピングカーで住む場所を探して日本中を周り、この飯山市戸狩の地に来て、「ここだ!」と直感して定住することに決めたそうです。私もフィールドワークの地を求めていくつかの地方をまわって、この里山に来たときに「ここだ!」と飛び跳ねて驚喜しました。まったく同じ経験だったので、すぐに意気投合し、それからの仲です。ご主人や上種館のお父さん・お母さんの話では、彼女と私はよく似ているとのこと。八方に興味をもって、すぐ熱中するところは、たしかに同じ種類の人間だと思います。今は漢方薬の勉強仲とのことで、富山大学に学びに行き、必要な中国語とラテン語を独学で学び、化学の勉強も基礎から学び直しているとのことです。同種とは言え、感心・驚嘆の限りです。
 今回のフィールドワークでも、私を訪ねて上種館に来てくれました。校長を退いて新しいことにチャレンジしている旨を伝えると、嬉しそうでした。
 「あなたは、自分の中に自分が住んでいる人間だから、サプリを書いた人なのだから、下野しなさい」
 言葉感覚を持った彼女のことですから、政治的な「下野」という意味ではないでしょう。広々とした野を走り回れ、ということなのでしょう。
 「自分が変人であることを自覚していますか」
 彼女は、私を変人呼ばりして憚りません。
 「変人なのだから、人のために生きなさい。自分の小さな世界で安住してはなりません」
 まったく突然の忠告で、少々戸惑いましたが、何らかの危惧を直感したのでしょう。直感力の鋭い方です。
 それからずっと彼女の言葉が頭の中に留まっています。
 「自分の中に自分が住んでいる人間」
 不思議な言葉です。誰もがそうではないでしょうか?
 まずは、この夏休みは、1日1冊の本を読んで、自分の中に住む自分を成長させよう、という目標を定めました。
 そこで昨日読んだ本を紹介します。
 『東大生となった君へ-真のエリートへの道』(田坂広志著、光文社新書)
 一昨日紹介した本です。
 「いま、世の中は、寂しい価値観がはびこる『競争社会』。耳に入ってくるのは『生き残り』『勝ち残り』『サバイバル』という底の浅い言葉の大合唱」
 「あなたにとっての『人生の成功』を定義しなさい」
 オススメです。

開智未来の夏休み

 今日は午前中は大学。午後は開智未来の職員会議が2時からあるので、11時過ぎに大学を出発して開智未来に向かいます。
 今日は1学期の終業式ですね。里山へ行ったり、大学で勤務したりと落ち着かなくて、開智未来の生徒たちの雰囲気はつかめませんが、明日からは夏休みです。
 ある学年の哲学の授業で生徒たちに次のように話したことがあります。
 「開智未来は終業後に前期の夏期講習があり、2学期の始業式の前に後期の夏期講習があるため、夏休みがいつからいつなのかはっきりしません。夏休みを休日と考えれば短いと思う人もいると思います。私は開智未来の夏休みは各自が決めるものだと考えています」
 夏休みとは学校の休みである期間ではなく、授業がない日々に自分がやりたいことを行う期間、自分の計画したことを意識的に行う期間、つまり、何をしようか、何がしたいか、その目的によって定められる期間、と私は考えています。
 ですから、目的のない人には意味ある夏休みは存在せず、目的のある人には終業式前から夏休みは始まっているのです。
 これは人生にも当てはまることですね。
 意識的に生きた時間が、生きた時間、つまり、人生である。
 そして、夏休みはミニ人生ですね。
 目的をもって意欲的に過ごせば、充実した夏休みになります。なんとなく怠惰に過ごせば、ただの過ぎた時間のかたまりに過ぎません。
 開智未来生の皆さん。人生の準備運動をしてくださいね。それではいい夏休みを。

美意識

 昨日、里山探究フィールドワークの閉村式で生徒たちに次のような話をしました。
 「何かを終えた時は何かを始める時です。いつまでも余韻に浸ってはなりません。すぐに次の一歩を踏み出すことが大切です。私は今日家に帰ったら、自転車に乗りたいと思います。また、4日間本を読まなかったので本を読みたいと思います。明日の朝はいつものように4時過ぎに起き、勉強を開始したいと思います。次の自分の一歩になるような勉強です」
 実際に、昨日は5時45分に帰宅し、顧問からのメッセージを書いて、時間がないので6時40分から40分ほど自転車に乗りました。13.5㎞。おかげで山歩きで発症した腰痛も治りました。
 今朝は4時半に起床し、いつものようにコーヒーを入れ、2種類のヨーグルトをブレンドして食べ、昨日久喜駅で電車を待っている間に買った本を読み始めました。購入した本は2冊。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(山口周著)と『東大生となった君へ:真のエリートへの道』(田坂広志著)、共に光文社新書です。前者を昨日から読み始めています。
 山口氏によれば「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」、つまり、「正解のコモディティ化」という問題が露呈してきたとのことです。コモディティとは英語で日用品、生活に必要な必需品という意味で、論理的に考えると、誰もが同じような結論に至ってしまうことです。まだ読み始めたばかりなので私の勝手な想像ですが、「そのために美意識が必要である」ということなのでしょう。
 もちろん、論理的・理性的に思考することで、正しい正解へたどり着くことが出来ます。だから、入試問題も成立するわけです。一人一人違う答えになったら正解はなくなり、点数を付けて合否を決定することはできませんから。しかし、世の中は、それほど単純なものではありません。一人一人の価値観もあります。多様性や個性は重視されなければなりません。
 では、各人の価値観や個性は、それぞれ勝手に主張できるのでしょうか。「私がいいと思ったから正しい」では子供じみています。そこで必要となるのが美意識だと私は考えます。昔から価値の3要素を「真・善・美」としてきました。真とは「正しさ」、善とは「よさ」で、特に「真」は現代で最も重視されているものです。「善」も、人間的正しさ、人間や心の良さということで、大切にされています。しかし、「美」はあまり見向きもされなくなりました。
 最近、私は「芸術」の大切さを生徒に訴えています。そのことと通じているように思います。多分、この本のテーマとは異なると思いますが、「私の生き方は美しいか」、「私の言葉は美しいか」、そういう問いかけが大切だと私は考えています。
 里山で生徒たちは多くのことに感動しました。「五感、もぎとり、感動」。生徒たちが暗唱したキーワードの一つです。自然を見て感動する。その奥底にあるのが美意識ではないでしょうか。
 久しぶりに座った自室の机から、手を伸ばせば触れられるところに、葡萄棚があります。だいぶ大きくなった黄緑色の葡萄の実は本当に美しいものです。弱音を吐かずに山道を登る生徒たちの姿も美しいものでした。
 どうやって美意識を育てるか。それは身体と結びついています。五感でもどきる力、身体で感動を表現できる力。里山探究フィールドワークで8年間追い求めてきたことは、かなり本質的だったのかな。自画自賛の手前味噌をちょっぴり舐めてながら、フィールドワークを終えた心地よい疲労感・安堵感と、あらたなスタートのワクワク感を味わっているところです。

言葉を理解する者

 里山探究フィールドワークから戻ってきたところです。素晴らしいフィールドワークでした。
 特に、第8期生たちが言葉を受け止め、理解する力に感心しました。
 こんなことがありました。
 第2日目、森林探究のときのことです。今年は土砂崩れのために例年の場所で行うことができず、スキーのゲレンデの一番高いところからブナ林に入るルートになりました。ブナ林に入るまでにゲレンデをかなり登らなければなりません。さらに、ブナ林に入ると急勾配の山道が続きます。午前中は宿のおとうさんの説明を聞き、昼食をゲレンデの下の施設で取り、午後は再びブナ林で個人探究をします。二度も上り下りをしなければなりません。
 森林探究を開始するに当たって、各宿からマイクロバスで集まってきた全員に私からこんな話をしました。
 「今日の森林探究は山道をたくさん歩かなければなりません。そこで皆さんに守ってほしいことがあります。それは弱音を吐かないことです。弱音を吐かない、という意味は分かりますか?」
 生徒たちは真剣な表情で聞いています。そして、口々に「疲れたと言わないこと」「マイナスな言葉を言わないこと」と答えました。しっかりと理解しています。
 実際、生徒たちはよく登り、よく下りました。
 昼食後、二度目の登坂に当たって、私は生徒たちの先頭に立つことにしました。「スタート!」。小走りに登り始めると、男子生徒も女子生徒も付いてきます。たくましい生徒たちです。
 言葉を理解する者は頑張ることができる。
 突然、そんな言葉が浮かんできました。私の直観です。どうしてそんな直観を得たのだろう。帰りのバスの中でも考え続けました。
 辛くても頑張る意味が、言葉によって明確に理解できるからではないだろうか。
 さて、中学1年生たちは今頃、それぞれの家庭で、うちの人に、課題である「感動したこと、成長したこと」を話しているに違いありません。
 どんな言葉で伝えているのでしょうか。保護者の皆さん。お子さんの成長をしっかりと聞き取ってくださいね。

つつましさ

 7月4日(水)のメッセージに誤りがありました。『時間と自己』(木村敏著、中公新書)からの引用文の中の「ものが眼の前に示されたものであり、目で見られるものである」の部分です。「ものは眼の前に示されたものであり、目で見られるものである」が正しい文です。「が」と「は」では大違いですね。すみません。「もの」と「こと」の違いを述べた部分で、私としては「こと」的なものの見方の大切さを示したかった次第です。
 さて、訂正した後で書きづらいのですが、最近、教育に関わることで腹に据えかねています。少々怒りを伴った文章を書くことになるので、私と文章との距離をとるため、常体で書きたいと思います。このメッセージにふさわしい文章ではないかもしれませんが、教育に関わることなのでご了承願います。
 ★  ★
 最近、教育に関することで、私的な利害が公的な力を通じて教育の中に入り込む「事件」が多すぎる。
 組織は腐敗する。特に、強くなりすぎた組織に顕著である。人間の毒が組織の中で増殖するからであろうか。残念ながら組織にはその毒を浄化する力はない。組織とはそういうものである。私も5年ほど教育行政の世界にいたことがあるので、権力付近の組織の様態について、少々分かっているつもりである。 
 無垢な人間には、今回の事件群は耐え難い。自分で言うのも気が引けるが、私も耐え難い。
 世の中には無垢な人間がいる。つつましく生き、自分だけ得すればいいなどとは考えず、わが子を正直者に育てたいと思っている。そういう人々の中で教育が行われる。少なくとも、私はそう信じている。
 その教育を、はるか上から文部科学省がコントロールしている。その文部科学省の上に内閣があり、そのトップが内閣総理大臣である。その上層付近で不明朗なことが起こっている。そんな組織がいくら立派なことを言っても、どうして信用できようか。
 私は今、文部科学省の通知やその関係の答申など見たくもない。
 「主体的・対話的で深い学び」
 たしかにそのとおりだ。開智未来では開校以来「学び合い」を推進してきた。「哲学」の授業で主体、つまり、自分について考え続けてきた。しかし、その文科省の言葉で日本全国が「右向け右」になっていると、右を向きたくないと思ってしまうのは、天の邪鬼(あまのじゃく)だろうか。いや、邪鬼どころか、「邪(よこしま)」でない人間だからこその感情である。
 今の状況の中、私は教育を続けるのが嫌になってきた。
 教育は人間の営みである。しかも、つつましい営みである。その営みを壊すものは誰であっても許したくない。
 ★  ★
 激情の吐露ですみません。明日から、中学1年生たちと里山へ行ってきます。下界から離れて4日間を過ごしてきます。なお、コンピュータを持っていきませんので、その間はこのメッセージをお休みさせていただきます。

インプット・スループット・アウトプット

 振り返ってみると、校長であった7年間はスループットとアウトプットの7年間でした。最後の2年間ほどはガソリン切れのような感じで、やはり、インプットは大切ですね。
 何事もバランスが大切で、インプット・スループット・アウトプットは調和されてこそ力を発揮するものです。もちろん、勉強も同じです。
 4月からすでに3か月経ちましたが、今、猛然とインプットに努めています。いわゆる充電期間です。充電して何をするのかはまだ決まっていませんが、爆発できるだけのガソリンを体内に入れたいと思っています。
 さて、一昨日に『知の体力』(永田和宏著、新潮新書、2018年)を読みました。著者は京都大学の名誉教授で専門は細胞生物学。歌人でもあります。科学と文学が統合された深い知性から、大学教育のあり方についての提言がなされています。開智未来の高校生にも是非読んでほしい本です。
 いくつかの文章を紹介したいと思います。
 「問題には一つの答えがあるものだと思ってきた教育と、何一つ絶対的な答えというのはない実社会とのあいだに、バッファー(緩衝帯)が必要だと私は思っている。大学の大切な役割の一つは、高校までの教育と実社会とのあいだのバッファーとしての役割である」
 「知識を解きほぐし、応用可能なまでに自由に伸び縮みできるようにするためには、その知識が、どのような多くの人々の試行錯誤のもとにもたらされたものなのか、それが作り出されたプロセスを知り、その知がカバーできる外延をなぞり、かつその知によって自分のすでに得ていた知の体系が再構築されることが必要であろう」
 「集団のなかに居ることの居心地の悪さ、周りとの折り合いのつけにくさ、自らの抱え込んでしまった本質的な寂しさ、孤独感、そのような、〈世界〉との葛藤のなかにしか、個性の芽は育たないものだ」
 「あまりにも素早く相手と繋がれる言葉と言うのは、たいてい胡散臭いものだ」
 「真のコミュニケーションとは、ついに相手が言語化しきれなかった『間(あいだ)』を読み取ろうとする努力以外のなにものではないはずである。……別名、『思いやり』とも呼ばれるところのものなのである」
 この本で、永田氏は『時間と自己』(木村敏著、中公新書)を「私のバイブルのような一冊であり、数えきれないほど読んできた」と紹介していたので、昨日購入して読み始めました。
 「ものが眼の前に示されたものであり、目で見られるものである」
 「ことはことばによって語られ、聞かれるものである。……ことの本質は、むしろ言語によっては語り出しえず、言語からは聞き取れないところに潜んでいる」
 「もの的にとらえられた『存在』が見る対象として客観的に理論化されるのとは違って、あくまでこと的に性格を失わない『あるということ』は、一つの沈黙の声という仕方でしか知りえない」
 わずか10数ページを読んだだけで圧倒されています。すごい!
 インプット-スループット-アウトプット。本から学んだことを考え続け、それをアウトプットすることが大切です。
 〈これらのことを教育へとつなげよう〉-身体の奥底に力が湧き始めてくるのを感じます。
 燃料がたくさんあれば遠くまで飛ぶことができる。当分の間、インプットに努めたいと思っています。

妄想する力

 6月29日に関東甲信地方が梅雨明けしたと、気象庁の発表がありました。6月の梅雨明けは、観測史上初めてだそうです。
 おかげて、先週の金曜日から猛暑日が続いています。この状態が少なくとも7月・8月と、これから2か月続くかと思うと、「61歳の私は生きていられるのだろうか」と弱気になってしまいます。「歳だから暑さが耐えられないほど辛い」のではないかと、若手教員に「この暑さは辛くないか」と尋ねると、「今年は例年以上に厳しいです」とのこと。年齢が原因ではないとしたら、生徒たちも大変に違いありません。
 猛暑対策はこれからの日本の最重要課題の一つである。
 夏の暑さに対してこんなに深刻に感じたのは初めてです。そこで、この難題への対処法についてノートにまとめ始めました。
 「まずは、涼しいうちに行動を開始すること。/これから3時台に起きよう。4時には散歩をして冷えた外気を楽しもう。ストレッチや軽い運動で身体を爽快にしよう。自転車もいいかもしれない。それから朝焼けを見て、そうして、これまでのように妻にコーヒーとヨーグルトを用意する。/さらに、脳が気持ちよく動く間に、本も読まなければならないし、考えごともしたい。エッセイも書きたいし、研究もしたい。朝7時には自室の室温が上がってしまうので、かなり忙しい。それなら3時に起きなければいけないか。まるで爬虫類のような生き方である。いや、猛暑の間は爬虫類として生きるのだ。」
 妄想のような言葉を書き続けました。まじめと言うか、バカと言うか。我ながら呆れかえってしまいますが、間違いなく、夏の生き方を本気で(狂気で?)考えなければならない時代になってしまったのです。
 AI、平均寿命100歳、70歳定年、言葉の消失・弱体化、そして、猛暑。このような未来に生きる子どもたちをどのように育てるか。
 妄想する力は、すでに重要な能力なのかもしれません。