顧問感覚

コモンセンス

向かう力、押す力

 10月11日のプレ合格祈願走へ向けて、昨夕、ジムのルームランナーで5キロメートルほど走ってみました。最近は、自転車やダンスが中心でだったので、久しぶりにジョギングで汗を流しました。
 今朝起きると、筋肉痛に加え、未来祭のダンスで痛めた右膝が悪化していました。今日は歩行も困難です。
 春日部駅までの35キロメートルは、この状態ではちょっと非常識な挑戦かもしれませんね。普通の人ならば絶対にこんな無謀なことはしないでしょう。自分のことながら「変な人間」だと思います。
 「変人であるには力が必要」だと私は考えています。力とはパワーであり、志であり、身体であり、心の力です。
 最近は、ちょっと人と違うことをすると、匿名の無数の、しかも無責任な一般常識によって炎上する時代です。批判が怖くて縮こまっている時代です。
 そんな時代に抗いたいという気持ち、生徒たちへの「愛」(自分で言うのも変ですが、やっぱり開智未来生はかわいいのです)と「感謝」(この学校を選んでくれたことへの感謝です)、そして、頑張っている生徒の姿が、この無謀への原動力となっています。
 当日は、湯島天神に生徒の名前を書いた絵馬を掲げて、全員が大学入試を完走することを祈願し、生徒たちが自分の氏名と意気込みを書いたTシャツを着て走ります。
 絵馬の表面には「全員完走!前へ!! 開智未来中学・高等学校 2018.10.11」と書きました。
 私の無謀が生徒たちの「前に向かう力」を「後ろから押す力」になればと願っています。

恩返し

 今日は大学での会議がなくなったので、急遽開智未来に出勤しました。
 私の出勤日の月曜日、木曜日、土曜日は、始業前にそれぞれ、学びのサプリ講座、東大ゼミ先端コース、そして、東大ゼミがあるので、今年になってから早朝のアカデメイアで生徒たちと一緒に学ぶ機会がありませんでした。今日は久しぶりにアカデメイアで勉強しました。
 やっぱり、アカデメイアは最高ですね。
 開智未来生たちの真剣な気迫というか、清涼で凛々しい空気が私に伝わってきて、身震いするほどの清々しい意欲が湧いてきました。
 彼らから伝わってくるものの、その本体は何なのだろう。
 今日は改めて考えさせられました。
 生命の持っている、成長しようとする力。
 膨大なる未確定な未来。
 代わりに、私が開智未来生に伝えられるものは何だろう。
 老木の厳しさとゆたかさ。
 不滅なる変化への意志。
 どうにか機会をつくって、月に1、2回はアカデメイアで生徒たちと「共振」したいですね。
 さて、別件ですが、10月11日(木)に「プレ合格祈願走」をすることにしました。この日はセンター試験100日前で、高校3年生たちが大学入試で最後まで走り切れるようにと、企画しました。
 開智未来を応援する-これが顧問の私の仕事です。
 もちろん、センター当日の合格祈願走も行いますが、今回は時間をかけてゆっくりと走って、どうにか春日部駅まで約35㎞を目標とし、そこから電車で学校に向かうつもりです。
 老骨にむち打つ姿が、少しでも、生徒たちの困難を乗り切る力になればと願っています。生徒たち、そして、開智未来への、わずかばかりの恩返しです。
 私が開智未来生に伝えられるものは何だろう。
 問い続けていきたいと思います。

ほのかな幸福感

 大学の勤務は時間的に余裕があるので、空き時間に草取りをしています。
 このようなことをしているのは、開智未来の開校時を思い出すからです。もう8年も前になりますが、統廃合された県立高校の跡地に開設したので、校庭は草で覆われていました。開校後も生徒数は少なく、保護者の方の熱心な協力で凌いでいました。朝早く出勤すると、植え込み当たりの草取りをしている保護者の方に何度もお会いしました。
 「うちの子がお世話になっているのでお礼の気持ちです」
 懐かしい思い出です。
 せっかく開智未来に来てくれたのに、その学校が雑草で荒れた学校では申し訳ない。
 学校に到着すると、まずは雑草に目がいき、心が痛んだものでした。
 大学も自然が豊富で、至る所に草が目立ちます。せっかく来てくれた学生に申し訳ないな、と草取りを始めた次第です。
 特に、植え込みに「ヤブガラシ」という、地下茎で繁殖する蔓草が茂っていました。私が住んでいる農村地域では、農家の方が嫌っている植物です。
 草取りの装束に着替えて、各所にある「ヤブガラシ」は完全に取り払いました。
 次は、芝生の中の草です。
 これは途方もない作業になります。カミュの小説『シーシュポスの神話』(新潮文庫)のシーシュポスのように、取っても取っても生えてくる草と格闘しています。
 果たして私が行っていることに意味があるのだろうか。それでもその苦行のような営みに、ほのかな幸福感を感じています。
 カミュはこの小説で「生きることの非条理」を表したと言われていますが、私は途方もない雑草との闘いに、無意味のようでもゆたかな時間を感じています。
 昨日、いつものように草取りをしていると、近所に住む方から「シルバーさん」と声をかけられました。
 「そのような者ですね」と答えながら、楽しい気分になっています。あの時の保護者の方も同じような気持ちだったのかしら。

後半期へ

 台風一過。一昨日は天気は快晴でしたが、台風の置き残した災禍により交通機関が乱れ、午後は放課となりました。準備していた哲学や早朝講座の「学びのサプリ」を実施できなくて、肩すかしの1日でした。
 さて、昨日は週休日で、午前中は自宅の庭や畑の後片づけをしました。ゴーヤ棚は柱が折れ、モロヘイヤや紫蘇はすっかり倒れていました。その他にも、コスモス、皇帝ダリア、バラ、その他の草花も整えました。
 ゴーヤとモロヘイヤは時期が終わったので、これを機に引き抜きました。ゴーヤは120個ほどの実を付け、8月・9月は1週間に5日以上食卓に登場し続けました。ちなみに昨年は200個以上の実をつけました。今年の夏は、猛暑のせいかゴーヤもミニトマトも実のなりが悪く、それに比べモロヘイヤは見事に壮大な林となり、強靱な生命力を発揮しました。
 私の自室から眺められる、庭の中にある小さな畑は、これで、2本のナスの木と満願寺唐辛子1本を残すのみとなりました。目前の葡萄棚も、本日最後の1房を採り、夏の風景はほとんど消えてしまいました。畑の端にある柿の木は、ほのかに実が色づき始めました。
 一年を通して畑を窓から見渡し続けていると、この畑の様相が人生のように見えてきます。
 春から夏にかけての、成長していく野菜の、まばゆい光景。生徒たちを見ているような気分ですね。
 今日は10月3日。大学で勤務です。平成30年度も後半期になりました。

チーム・みらい

 今日は大宮のソニックシティで塾説明会。その後、柏市に移動して開智国際大学の教授会です。
 塾説明会では加藤校長と藤井教頭のあとに「補助的な説明」をしました。リレーの第3走者のような役割で、二人がトップでつないできたバトンを受け取り、最年長者として気持ちよく走らせてもらっているという感じです。
 ちなみに、最終走者は西木広報部長で、私が他チームに抜かれたとしても彼が抜き返してくれる、という設定です。
 昨年までは、自分の力でリードしなければと肩に力が入って、思ったような走りができませんでした。今年は余裕を持って、自分のフォームを意識しながら、時には競技場の風景も楽しみながら走っている感じです。
 今日の塾説明会にきていただいた方には、このリレーチームのバトンパスの見事さを見ていただけたと思います。いかがでしたか。チーム名はもちろん「チーム・みらい」です。
 ところで、昨日の詩の最後の1行ですが、訂正したいと思います。
 「君は「樹」となれり。」を「君は「樹」とならむ。」と変えてください。孫はまだ1歳で、これから「樹」になるのですよね。
 歳を積んで君は樹になるんだよ。きっと立派な樹になるに違いない。
 次の世代に夢を託すのは気持ちいいことです。開智未来の未来も楽しみです。

身の程知らず

 私事ですが、今日は2番目の孫の1歳の誕生日です。
 孫の誕生日に詩をプレゼントしようと思い立ち、6月の孫娘の「涼蘭」の5歳の誕生日に引き続き、二度目の「birthday poem」をつくりました。
 爺バカと言われそうですが、孫を利用して、自分の詩を発表する機会にするという、邪な動機の方が強いようです。
 さて、今回の詩です。
☆  ☆  ☆
「寿樹」
黙していた種子は
双葉となってそっと笑い、
若葉となって風とおしゃべりを始め、
若木となって陽を浴びて天に向かい、遊ぶ。
ときには嵐にあらがい、ときには雪の重みを楽しみ、
十の堅強な枝を持ち、
百尋に葉を茂らせ、
千の実を結んで、壮木となり、
万世のうちの有期に、
寿を積みて
君は「樹」となれり。
☆  ☆  ☆
 下手でも、詩という言葉の形式を、昔の和歌のように、メッセージを伝える手段とする。それが日本の文学の始まりだったのではないでしょうか。
 具体的な誰かに伝えること。その現実性のなかに、人間の感情・感性、そして、言葉が発生するものである。 
 身の程知らずですが、身の程をしらないからこそ楽しめるのだと悟っています。

胡蝶の夢

 一昨日が久喜市の塾での勉強サプリ、昨日が高校の入試講座での「中学生勉強サプリ」と「親サプリ」、そして、今日が中学体験授業での「小学生サプリ」と「親サプリ」と、3日連続で5回のサプリを行いました。
 楽しかったです。最近は保護者の方も私よりだいぶ年下になったので、どのサプリも、聞き手のためになるように、と「やさしい気持ち」になって行っています。そして、楽しんで行えるようになりました。少々熟成してきたのかもしれません。
 サプリは、平成17年に県立高校の教頭時代、高校生対象の「学びのサプリ講座」として始まりました。頭の良くなる方法からスタートしてきましたが、だんだんと生き方の比重が高まり、この頃は、「幸福」というものを意識して行っています。
 いかがでしたでしょうか。
 特に、今年から校長という役割から解放され、より自然体に、サプリの生き方を行えるようになりました。
 私の頭の中でつくったサプリが、私の身体の一部になっている。
 そんな感じです。
 私がサプリなのか、サプリが私なのか。
 これって『荘子』にある「胡蝶の夢」の話のようですね。
 唐突ですみません。以下、インターネットの「コトバンク」の引用で説明します。
 「荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという『荘子』斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ」
 胡蝶になって、次の世代に何かを伝えたい。
 「こちょう」と「こもん(顧問)」。ちょっと似ている言葉かな?(いえ、「こ」で始まるしか共通点はないようですね)

苦しみへのチャレンジ

 1週間以上お休みしてすみません。
 『月刊高校教育』の原稿書きがあり、このメッセージの文章を書く余裕がありませんでした。この連載も今年で10年になります。毎月、原稿用紙11枚のマス目を埋めるのに四苦八苦して、毎回、連載を止めようといつも思っているのですが、産みの苦しみを経て書き上げると、また頑張ろうかという気持ちになって、こうして続けています。
 これが男にはわからない母親の気持ちなのでしょうか。
 苦しいことというものは、苦しんでいる時は辛いのですが、それを乗り越えてゴールに達成すると、快感につながるものです。逆に、苦しみのない達成は味気ないものです。
 それでも苦しみから逃れたいと思うのが人情。困ったものです。
 最近、前よりも苦しいことが苦手になってきました。これを老化と呼ぶのでしょうか。困ったものです。
 さて、9月が終わると今年度も後半戦に突入します。
 「苦しみへのチャレンジ」
 これを後半戦のテーマにしようと思います。
 肉体系では、プレ合格祈願走。こいのぼりマラソン参加。ダンス発表会参加。合格祈願走。
 頭脳系では、エンパワープログラム参加。授業サプリ執筆。開智教育研究所の青写真づくり。
 前向きにチャレンジする姿を開智未来生に見せるのが私の仕事だと思っています。

深化・進化

 今日は大学に出勤の日です。柏駅から2キロメートルほど歩くので、Dパックを背負い、最近はハイキング用のシューズて通っています。
 往復で約2時間。電車には待ち合わせ時間も含めて片道1時間20分ほど乗ります。車中を有効に使おうと、座れば読書やメモに専念し、立っているときは考え事をしています。ホームで電車を待っているときはウォークマンで音楽を聴きながら、人知れず踊っています。きっと不気味なオヤジに思われていることでしょう。ちなみに、今日は Ed Shearan の『÷(ディバイド)』で踊っていました。一見ヤバい人です。
 昨日から『唯脳論』(養老孟司著、ちくま学芸文庫、1998年)を読んでいます。養老氏は私の20歳上ですから、彼が今の私の歳に出版した本です。一読スゴい本です。ずっと遙か遠く、彼方の存在です。もともとサプリは養老氏の考えも取り入れているのですが、最近、養老氏の凄さがさらにわかってきました。少しは成長したのでしょうか。
 「あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり、脳の産物に他ならない」
 「現在われわれを捕らえているのは、現実と化した脳である」
 テクノロジーの発達で、私たち人間は、脳の中で想像してきたことを現実にしてきました。空を飛ぶ夢、腕時計で人と話をする夢、時間と空間を超えて誰とでも話ができるという夢。みんな現実になりました。脳で考えたイメージはCGであたかも現実のように画像化されます。ネットという人工的な世界は若い人たちにはすでに現実空間となっています。
 まさに、脳が現実となっているのです。
 しかし、それは本当に現実なのでしょうか。
 氏は「現実とは、われわれを制約するもの」であると述べています。人間は、自分ではどうにもならないこの現実と向き合い、時には抗い、時には屈服されてきました。しかし、脳によって生み出された人工物という現実は、われわれを制約から解き放しました。何でもできるのです。
 人間を制約をしない現実は、本当の現実なのでしょうか。
 私はここで身体に注目します。身体には制約があります。がんばっても50メートルを4秒では走れない。思ったように踊ることはできない。思ったようにギターは弾けない。絵を描くことはできない。そうやって不便な中で現実を取り戻すことが大切なのではないでしょうか。
 そうして、身体を鍛えれば、絵やギターの腕を上げれば、できなかったことができるようになり、私の現実は広がっていきます。脳で空想上の世界を思いのままに広げても、生きた気分にはならないと思うのです。
 現実に制限された人間にこそ、その身体の開発で、一人一人の意味ある世界を持つことができる。
 朝、野田線で考えたことです。
 読んでは考え、読んでは考える。
 サプリをもっと深化・進化させたいと思っています。

英語・世界へ(3)

 2日ぶりに開智未来で勤務しています。やはり、開智未来生と直接関わる仕事は楽しいですね。
 木曜日は始業前に東大ゼミの先端コースの講座があり、14名の中学3年生と一緒に『菊と刀』を英文で読んでいます。この先端コースは昨年度から開講しているもので、英検2級以上を取得している中学3年生に、ちょっと背伸びをして全国レベルの学びを目指したゼミです。
 ちょうど天皇が話題となったところだったので、「日本人にとって「天皇」とは何か?」について考えました。
 「このことを外国の人にどのように伝えますか。日本人ではありませんから、『そーだよね』では通じません。丁寧に説明しても文化の違いから相手はなかなか理解してくれません。理解したとしても納得してはくれないでしょう。その時、どのように論じていきますか?これは単に英語力の問題ではありません」
 世界と関わるということは、もし本気で関わろうとするなら、いいかげんに相づちを打つのではなく、相手の考えを真剣に理解し、自分の考えをねばり強く伝えることが大切です。そんな思いで生徒たちに問いかけました。
 真剣に聴いている生徒たちと接して、自分も背筋を伸ばして生きなくてはという気持ちになります。
  「英語・世界へ」というテーマで3日連続でこのメッセージを書いてきましたが、英語力は後からついてくるもの。やっぱり「飛び込む勇気」ですね。じっくりと考えて覚悟をもって飛び込むのもよし。軽いノリで入り込むのもよし。動き回ったからこそ見えてくる世界、入り込んだからこそ五感で感じる世界が現実世界なのでしょう。
 「エンパワープログラム」の宣伝を連日書きました、このプログラムに多くの生徒が飛び込む、そんなパワーのある学校に開智未来がなることを私は夢見ています。
 もし生徒たちが嫌がらなければ、いい歳でお邪魔かもしれませんが、私も同じ条件の生徒の一人として、萎れかかっている勇気に息を吹き入れて、プログラムに飛び込みたいと思っています。