顧問感覚

コモンセンス

幸せになる方法

 今日は高校募集の体験入学です。80組近い方が参加してくれました。
 私は中学生ミニサプリと親サプリをともに15分間行いました。顧問というやや自由な立場から、中学生たちやその保護者の方たちのことだけを考えて、時には、言いづらいことも遠慮せず正直に話しています。とても楽しいです。
 サプリを聞いている人も私が楽しんで話していることが分かるのでしょう。いい表情で聞いてくれます。
 「点数を上げようと勉強してはいけません。頭をよくすることです。もちろん、頭が良くなれば点数も上がります」
 中学生ミニサプリは、こんな調子で始まりました。
 「頭の悪い人は無表情な顔をして授業を受けます。賢い顔をして、積極的にうなずきながら話を聞きましょう。それから18ページを開けなさいと言われたらすぐに18ページを開けましょう。頭の悪い人はグズグズして反応しません。指先も器用に動くようにしましょう」
 勝手なことを言っていますね。
 親サプリでは、こんなことを話しました。
 「保護者の方にお願いがあります。お子様の前で人の悪口を言わないようにしてください。その毒がお子様を蝕んで、人の悪口を言う人間になってしまいます。人の悪口を言う人間に育ってほしいですか。それに、親から人の悪口を聞き続けた生徒は、何事も人のせいにする人間になってしまいます。自分が勉強しないのに学校が悪いとか、先生の教え方が悪いとか言うようになります」
 うなずいて聞いてくださる中学生たちや保護者の方を見ながら、ありがたくて、嬉しい気持ちに浸っています。
 さて、これから個別相談で学習アドバイスをしたいと思っています。
 人のために生きる。
 これは年配者が幸せになる方法ではないでしょうか。

秋晴れ

 今日の午前中は、中学1・2年生のペア駅伝と中学入試の「探究型入試説明会」が同時併行で行われます。加藤校長と藤井教頭がペア駅伝に関わり、顧問の私が説明会に関わることになりました。
 このペア駅伝は開校年度より行われているもので、今年で8回目になります。共に走る相手の息づかいを感じて他者を理解すること、そして、力を合わせることで一人以上の力を発揮することを学ぶ教育活動です。今年は応援できないのが寂しいですが、きっと頑張ってくれるものと思います。来校の保護者の皆さん、私に代わって応援をよろしくお願いします。
 探究型説明会は、今の中学3年生の入試の際、未来型入試として始まったものです。昨年から、社会探究と科学探究に分けて「探究型入試」と変更し、1回だった入試を2回に増やしました。学びの基礎となる読解力と計算力をそれぞれ「読解基礎問題」と「計算基礎問題」で評価し、さらに、思考・表現力を「探究問題」で問います。大学入試が2020年度から大きく変わりますが、その入試改革と軌を一にする入試です。
 私はこの探究型入試に期待をかけています。この入試で開智未来に入学した生徒は、開智未来の教育でさらに成長し、単に大学入試だけでなく、大学入学後、さらには大学卒業後に社会で活躍して人々に貢献し、身心ともに成長して幸せに生きていけると考えています。
 今日はこれからどのような学びをしていったらよいか、保護者に対してもどのようにお子様を育てていったらよいかについて、説明できたらと思っています。
 最近、自分の年齢について言及することが増えていますが、60年も生きていると何が大切か、何をどの時期に行うべきか、自分をどのように成長させたらよいか、そんなことが多少なりとも見えてきます。そうやってものごとが見渡せるようになって、「探究型入試」の意義を再認識しています。
 秋晴れの中、校庭では中学1・2年生たちが躍動しています。アカデメイアではこれから開智未来で躍動するに違いない小学6年生たちがその準備を始めます。
 清々しい天気が彼らを応援しているようです。
〈追伸〉
 おかげさまで、左膝の痛みも和らいできました。

悲しい自問自答

 昨日は午後3時までお休みをいただき、孫娘の保育園の祖父母遠足に参加してきました。
 これは5歳と6歳のクラスの行事で、子どもたちと一緒に保育園から近くのコスモス畑と公園に歩いて行って、昼食をとって帰ってくるという日程です。妻が仕事で参加できないので、私が行くことになりました。
 8時50分に集合し、歌の披露を受けた後、懐かしいお遊戯を一緒にして、9時半頃に出発。目的地までは手をつないで行進し、2時頃に園に帰ってきました。「身心開放」で恥ずかしさや照れを克服すると、多くの園児と「稚心」そのものになって楽しむことができました。まるで「良寛さん」のようですね。これを世間では「好々爺」と呼ぶのでしょうか。
 若い保母さんからは、「すずらんちゃんのおじいちゃん」と呼ばれて、どんな顔をしたらよいのか困ってしまいました。ちなみに、ウォーキングということなので、私はバリバリのスポーツウェアで、トレイルラン用のリュックを背負い、ランニングシューズのいでたちでした。何しろ、スーパーエイジングですから。
 園児たち同士の会話を聞くのも、楽しいことでした。言い合いになることもありますが、どちらにも言い分があって、子どもなりにいろいろと考えていることがわかります。また、言葉もかなり発達しています。
 生徒たちと比べても、私たち大人と比べてもそれほどの差はないのでは、と思ってしまいます。逆に言えば、その後あまり成長させていない、とも言えます。
 教育というものは、未開発な領域かもしれませね。
 ところで、一夜明けて、1週間前のプレ合格祈願走で痛めた左膝が、再びかなり痛くなっています。
 年齢に抗うべきか、年相応になるべきか、悲しい自問自答をしています。

哲学する庭師?

 昨日は週休日で、先週に引き続き家の植木の刈り込みをしました。
 今回は西側にある、2本の金木犀の木です。20数年前、50センチにも満たない苗木を、何かの景品のようなものとして貰って植えたものです。西側なので目につくことが少なく、無精にも一切手をつけなかったため野放図に育ち、2階の窓に達するほどに巨木化していました。
 枝を間引きしないと木の枝は内部に密集するものですね。枝分かれした枝を選んではノコギリで切り落とし、その上で小枝を植木ばさみで剪定することにしました。
 切りながら、精神や脳の中も、不要な枝を切って風通しをよくしなければいけない。
 不思議なもので、密集した太い枝にノコギリを無心に引いていると、勝手に思考が湧いてきます。これは草取りの時にも起こることです。
 妻と一緒に格闘すること6時間。2本で軽トラック4杯分の枝葉が出ました。
 身体労働というものはなぜかくも気持ちがいいのでしょうか。
 作業の結果が目に見えるから?
 それだけではないように思います。
 今朝、開智国際大学へ向かう車中で、『頭がよくなる思想入門』(新野哲也著、新潮選書)を読み直しました。この本は保護者会報「ビリーブ」で推薦した本ですが、私はこの本を何度も読み返しています。私の座右の書の一つです。ちなみに、すでに絶版となっており、残念です。
 こんな文章が眼に飛び込んできました。
 「理屈の世界に迷い込むと、考えなくてもわかることがわからなくなってくる」
 「直感は現実や身体感覚に根ざしている。一方、意識や言葉は、現実を離れて浮遊する」
 「現実だけに目を向けていると、役に立たない空想がいつのまにか消え去り、目の前にクリアな現実が広がってくる」
 庭仕事や畑仕事と哲学は相性がいいようですね。
 特に庭仕事にはまりそうです。

肩の荷を下ろして

 今日は開智未来での勤務です。早朝のアカデメイアで生徒たちと一緒に勉強しました。今日から中間考査ですが、アカデメイアはいつもと変わらぬ空気です。これが開智未来の素晴らしいところですね。
 顧問となって肩書きという肩の荷を下ろして、ありのままの自分を、子どもの頃を思い出しながら、見つめてみると(自分を見つめるほど余裕があるということですね)、自分というものが、つくづく、「臆病で、不器用で、融通が利かなくて、自分本意で、グズグズしていて、組織が苦手で、人見知り」だと思います。これでよく生きてきたものです。ただ、「飽きずに頑張り続けることができて、身の程知らず」なのでここまでやって来ることができたのかも知れません。
 「嫌われるほどではないが人に好かれる人間でもなく、わずかばかりの愛嬌が救いの人間」と、肩書きがなくなったからこそ、正体が丸見えになって、自分を正しく認識できるようになったのでしょう。
 自分よりダメじゃないか、と思う生徒もいるでしょう。安心してください。それでも人間はしっかりと生きていけるものなのですよ。
 それでも、自己を卑下することもなく、自分を嫌いにならない。だから自分というものは面白いと思えるのは、齢を重ねたからでしょう。
 肯定でも否定でもない自己受容。劣等感も優越感も超えた平常感。それでも成長し続けたいという体内エネルギー。
 AIの発展、資本主義の行き詰まり、ネット社会の進展等、社会の急激な大変化が予想される中、自己受容・平常感・体内エネルギーが重要なポイントとなるに違いありません。
 ちょっと話が大きくなりすぎですね。
 これからの教育はどうあるべきか。人間をどのように育てたらよいか。
 考える時間がたくさんあるのが嬉しいです。

懲りない人間

 今日はどうにか歩行できるようになり、開智未来で元気に勤務しています。
 1時間目は中学3年「哲学」です。ねらいは、言葉と思考。61歳の私が考え尽くしたことを、丁寧に伝えることを意識して授業を行いました。
 「哲学をお子様ランチにしたくはありません」
 こんなことを生徒たちに言いました。
 中学3年という発達段階は考慮しますが、相手は中学生だからと話のレベルや内容を落とすつもりはありません。大人にも通用する、小ぶりですが質も味も良いハンバーグやナポリタン、フライドポテトを提供したいと思っています。
 「人間は一つの美徳があれば、その美徳で立派に生きていけるものです。あなたにはどんな美徳がありますか」と生徒に投げかけたあと、「長所と美徳の違いを説明しなさい」という課題を出しました。
 大人でも難しい問いです。私も考え続けています。
 「自分で使う言葉は自分で説明(定義)できなければなりません。自分で説明できないような言葉を話しているから考えが深まらないのです」
 生徒相手でも真剣勝負できる、現役の人間であり続けたいものです。
 ちなみに、私は「現役の人間とは、全力で走り、全力で生き、成長し続けようとする者である」と定義しています。
 早く足を治して、全力で走りたいです。本当に懲りない人間です。

身の程(つづき)

 昨晩から腰から両足にかけての筋肉痛、さらに、悪化した左膝痛で苦しんでいます。今朝はまともに歩行できない状態で、内臓も少々ダメージを受けているようです。
 これが、今の私の「身の程」なのですね。
 それでも、昨日の「強烈走」をすでに懐かしんでいて、正しくトレーニングして体調を万全にして臨めば、もっと楽しく走れるだろうと考えています。我ながら全く懲りていません。
 今現在かなりの痛みを感じているのに、歩行困難なので大学に出勤できないと欠席連絡をしているのに、さすがに医者に行こうと思っているのに、身の程を忘れてしまっている。
 この自己意識こそ、人間の不思議で面白いところなのかもしれません。
 もちろん、いつかは身の程を受け入れなければならない時が来るでしょう。しかし、それまでは強烈に身の程を忘れて生きていきたいですね。
 自転車で日本中を走り回りたい。野山を歩き回りたい、できれば走り回りたい。開智学園の仕事では若手教員を育てる取組をしたい。日本に開智教育研究所の成果を広めたい(まだ成果すら出してはいませんが)。英語を使えるようにして、勇気をもって海外へ出向きたい。まずは、12月のこいのぼりマラソンで10キロメートルを生徒たちと一緒に激走したい。身体表現発表会で創作ダンスを踊りたい。そして、1月19日(土)の合格祈願走では湯島から再度走りたい。
 人はときどき身の程を言い訳の材料にする。
 身の丈に合わすのではなく、身の丈を伸ばす。
 今日は自宅で静養することにしました。左足がしきりに疼いているのですが、身の程知らずの夢に向かって、一日を過ごそうと思っています。

身の程知らず

 プレ合格祈願走をどうにか走ってきました。
 計画では春日部駅まで35キロメートルを走るつもりでしたが、今の私にはその力がなく、北越谷駅までの25キロメートルまでとなりました。
 走りながら、つくづく「身の程知らず」だと思いました。普通なら身の程の範囲で、せいぜい10キロメートル当たりが順当でしょう。実際、10キロを過ぎてからは足が痛くて、一時期走れませんでした。しかし、不思議ですね。身の程を知らんふりしていると、だんだんと、ゆっくりですが走れるようになってきて、しかも、辛いのですが楽しくなってきて、時々幸せな気持ちにもなってきました。
 身の程知らずだからこそ味わえる幸せ。
 そんなことを感じていました。
 考えてみれば、開智未来を創ったのも身の程知らずだったからでしょう。身の程知らずに、各地でサプリを行って、開智未来生たちが集まってくれました。私が身の程を知っていたら、きっと開智未来はこの世に出現しなかったに違いありません。
 身の程知らずは、けっして自信家ではありません。ただ自分の出来る範囲に対して無知なだけです。
 小賢しく自分を知るよりも自分を知らぬ方がいい。
 これからアスリート、アーティスト、そして、フィロソファーになりたいと身の程知らずに考えています。

強烈

 今日は大学勤務の日。柏駅までの電車の中で『自分の始末』(曾野綾子著、扶桑社新書)を読み返しいると、「いい生涯というものは、例外なく強烈だ」という、鮮烈な言葉に出会いました。
 「強烈な人生」
 私が追い求めている人生のあり方を、見事に表現した言葉を発見して小躍りしてしまいしまた。。
 これまでうまい表現が見つからずに、自分がどのような生き方をしたいのかがはっきりとわかりませんでした。言葉を獲得しないと私たちは自分の知りたいことを理解できないものです。
 よい悪いではない、成功した成功しないではない、人から評価されるされないではない、自分として納得する生き方。
 「強烈な」とは利害でも理屈でも捉えることのできないもので、「鮮やかさ」や「まぶしさ」を伴った形容動詞です。わずかながら美意識も含まれ、かといって審美的ではない。
 県立高校を辞して開智未来を開設した9年間は、私にとって強烈な人生でした。妻子を実家に戻して上越教育大学大学院で学んだ2年間も強烈な時代でした。
 これからは「強烈」を呪文にして毎日を過ごしてみようと思います。
 明日は、プレ合格祈願走を強烈に走り・歩きたいと思います。湯島天神から春日部駅までの激走ならぬ「強烈走」です。実際、左膝痛と両足の慢性筋肉痛で辛くなりそうですが、「強烈走」と考えれば、元気に楽しく・苦しく(楽苦しい:たのくるしい)頑張れそうです。
 まず、これから夕方の会議までの時間を、強烈に草取りをしたいと思います。

「10時間勉強マラソン」実施中

 今日は高校部の「10時間勉強マラソン」です。台風が逸れたので予定どおり8時30分から実施しています。会場はアカデメイア(高校1・2年会場)とリュケイオン(高校3年会場)です。
 アカデメイアでの学習が大好きな私は開校以来、用事がない限りこの勉強マラソンに参加しています。何しろ、10時間アカデメイアで生徒と一緒に勉強できるのですから、こんな幸せなことはありません。残念ながら、本日は午後から家の用事があるので午前のみの参加です。
 この勉強マラソンという教育活動は、私が県立高校の教頭時代に平成18年度に発案しました。その時の勉強マラソンは高校3年生対象で、早朝から夜7時まで、会場となる教室で各自がただ勉強するというものでした。途中、気分転換を兼ねて近くの神社に合格祈願をするというイベントもありました。
 このような50分のユニット学習形式になったのは開智学園に移る1年前、県立高校の校長の時でした。いかに集中して長時間勉強するか。人間の集中力はせいぜい90分が限度と言われています。マラソンでも最初からとばさずペースを守ることが大切。勉強マラソンのやり方も進歩してきました。この県立高校で勉強マラソンを一緒に企画・実施したのが、県立高校を辞めて開智未来に来てくれた工藤先生や寺岬先生で、特に工藤先生は開校以来、この取組の中心となってくださいました。感謝です。
 今日の勉強マラソンでは、2つのねらいを生徒に示しました。一つは「集中力を持続させること」。もう一つは「単位時間学習量を増やすこと」です。単位時間学習量とは1時間当たりに学習できる量のことで、自分の学習量を把握し、その量を増やすよう工夫・努力することが大切です。私もそうなのですが、学習計画を立てるとその計画の半分も達成できません。だから場当たり的な勉強しかできません。この考え方は大人になって仕事でも生かされるはずです。
 参加生徒たちは集中して勉強しています。その中で一緒に勉強できるのですから本当に幸せで、また、予定したこともほぼ100%出来ました。私の単位時間学習量もまだ衰えていないのでは、とさらに幸せな気分になりました。
 多くの先生方が来てくれています。開智未来の先生方は勉強好きです。安心してバトンタッチしてこれから家に帰ります。