顧問感覚

コモンセンス

朝日

 実は、連休前に引いた風邪の影響で咳が止まらず、体調不良が続いています。
 逆境こそ好機。
 これは私の人生訓で、実際、困難があったときが自分の発展の契機となっています。今回も、本を読んだり勉強したりするしかできないので、積極的に「令和の勉学の連休」と名付けて、多くの時間を自室で過ごしています。折しも、連休前から10数冊の本を読もうという計画があったので、病気も天の恵みと都合よく考えることにしています。
 さて、平成31年4月30日から令和元年5月1日まで、二つの元号にわたって、『日本語の歴史』(山口仲美著、岩波新書、2006年)を読みました。本年度から、開智未来で「読解力・日本語力の育成」の取組を開始するからです。この取組は、私が所長をしている開智教育研究所から研究指定されています。私も開智未来の特別顧問として、そして、研究所所長として力を入れています。
 この本では、「読み言葉」しかなかった日本が、漢字という表記方法を中国から得て、どのようにして現在の「書き言葉」(日本語)が成立していったのか、その過程がわかりやすく説明されています。
 現在の日本語には、「和語」「漢語」「明治維新期に人工的に創られた和製漢語」「外来語」の4種類の言葉があります。世界にも類を見ない多様性・豊饒性です。そのため、きめ細かに感じることも、考えることも、そして、人に伝えることもできます。例えれば、日本語は大容量で高性能のコンピュータで、使いこなせば相当の力を発揮するが使いこなすのが困難、という代物です。同時に、変化しやすいという特徴もあります。
 だからこそ、私たち日本人はその日本語を継承して発展させていかなければならない。
 「令和」という新鮮な響きに触発されて、そんなことを考えています。
 今朝からは『訓読みのはなし』(笹原宏之著、角川ソフィア文庫、2014年)を読み始めています。いかに和語と漢語をつなげていったのかを考えたいと思ったからです。
 連休も今日から後半戦(別に戦いではないのですが)。もし時間がありましたらいかがでしょうか。日本という国を考える契機にもなると思います。
 蛇足ながら、連休直前から読んだ本を紹介します。『「読む」技術』(石黒圭著、光文社新書、2010年)と『難解な本を読む技術』(高田明典著、光文社新書、2009年)です。この2冊は「読解力」を考えるために読んだ本です。共に良書です。特に後者は、私自身の本の読み方がいかにいい加減だったのかを反省する契機になりました。おかげで、どんな本もノートをしっかりと取って読むようになりました(逆に言えば、ノートを取らなくて済むような本は読まないということですね)。
 視線を、1メートル50センチ先にある葡萄棚に移すと、花芽がたくさん付いています。朝日を通して、それぞれの葉が葉脈とともに見えています。
 健康に留意して連休後半の初日をお過ごしください。

令和の朝

 令和の世の初めての朝を、いつものように葡萄棚のある自室で過ごしています。
 昨晩の雨も上がり、目前の小さな菜園、その先の植え込みは露に濡れ、新時代だからというわけでもありませんが、清々しい気分にひたっています。馬鈴薯の若芽、バジルの若い苗、生えだした蕗の葉、柿の若葉。皆、黄緑色に映えています。
 5月1日に始まった「令和」の第一印象となりました。
 ふと、この姿が開智未来の中高生に似ていることに気づきました。
 若いときはすべての生き物が黄緑色。生のみずみずしさ。ほのかに草の匂いもします。この時期が新鮮なのは、この色彩と匂いによるのかもしれません。
 未熟だけれど可能性がある。伸びる勢いや輝きをもっている。 
 私自身の中にも、わずかながらでもこの「黄緑色」の部分が残っているようにしたい。
 「青臭さ」とは、植物の「黄緑色の時代」の匂いに由来する言葉でしょう。しかし、青臭さの新鮮さ、真剣さを私たちは忘れてはなりせんね。
 令和の朝、しばし思いを巡らしました。
 さて、今日は施設で過ごしている母を一時帰宅で実家に迎え、一緒に新元号を祝おうと思っています。
 今日も素敵な一日でありますように。

平成から令和へ

 久しぶりのメッセージです。
 忙しく(忙しそうに)立ち動くうちに、考えや感情を文章でまとめない日々が続いてしまいました。本を読み、あれこれと考え、膨大なメモートを書いているのですが、やはり文章となると別ですね。とりわけ今、「読解」や「日本語」を勉強しているので、文章というものに、以前より敏感になっているからかもしれません。言い訳が長くてすみません
 さて、今日は「平成最後の日」です。この特別な日にメッセージを書かないわけにはいかない、ということで、3週間ぶりのメッセージに挑んでいる次第です。
 私が平成を迎えたのは31歳の年、ちょうど上越教育大学で修士論文の仕上げに専心しているときでした。そして今、開智未来の校長を退き、顧問2年目の春を迎える中、葡萄棚のある自室にて、雨の庭を眺めながら、平成31年4月30日、「平成最後の日」を迎えています。奇しくも、私は昭和を31年生き、平成も31年生きました。ほぼ同じ長さの年月を過ごしたわけです。
 昭和は子どもとして成長し大人になった時期、平成は親として子どもを育てた時期と区分できます。子育てはほとんど妻に任せきりだったので、この区分に家族は納得しないでしょう。
 こんな区分の方が適切かもしれません。
 昭和は自分づくりの時期、平成は自分発揮の時期。昭和の最後の時を上越教育大学で単身勉強に励み、その基礎の上に、平成に入ってからは教育実践に邁進して積み重ね、その集大成として、未来への夢を抱いて開智未来を開設することができました。その校長を退いて平成を終えるのも一つの流れのような気がします。
 開智未来は平成終盤の時期、東日本大震災の直後に生まれました。いつも言っていることですが、日本が未来を失ったと思われた最中に、奇しくも「未来」という名前の学校が誕生したのです。
 その平成という時代を私はつかみきれずにいます。
 何も価値をつくらなかった時代、とも感じています。
 私が育った昭和は、戦後復興・高度経済成長の時期で、日本人は未来をもっていました。その後、バブルという狂乱の時代を経て、その残骸の中で平成が始まりました。新聞等で多くの識者が言っていますが、自然災害が続き、大事件が何度も起き、冷戦後の世界は混乱し、何が本当のことなのかわからない・人々が真実をもとめようとしない「ポストトルース(post-truth:真実のあとの時代)」が到来しました。
 明日から「令和」の時代となります。
 この機に、もう一度、価値や真実を求める時代になってほしい、と私は願っています。そのために私は何ができるか。三度目の、そして、最後の「31年間」のテーマにしたいと思っています。
 「未来」という名前は、この「令和」という元号にこそ映えるはずです。加藤校長先生、藤井教頭先生を中心に、先生方と生徒たちと保護者の方々で、開智未来は、「新たな日本」に貢献する学校へと成長していくでしょう。これからの開智未来が楽しみです。私も微力ながら貢献できるよう、成長し続けたいと思っています。
 まとまりのない、長文のメッセージとなってしまいました。
 皆様にとって、素敵な時代の幕開けとなりますように。

忘れてはならないこと

 日曜日はスターティングセミナーで高校入学生に対して2時間の哲学、昨日の月曜日は中学入学生に対して2時間の哲学を行いました。
 初々しくて、開智未来の学びに対して一生懸命で、とても楽しい授業になりました。その姿勢や表情を見ていると、かえって私自身が忘れかけていた何かを学んだような気がします。
 大人は大切なことをしばしば忘れてしまうものです。素敵なことが見えなくなってしまうものです。
 今年になって、あらゆる機会に生徒たちに言っている言葉があります。
 「しっかり聞く、しっかり考える、しっかり読む、自分の考えをしっかりと文章で書く」
 当たり前のことですが、時々、見失ってしまうことです。
 子どもたちと一緒に学ぶことは、本当に楽しいことですよね。
 今日は短いメッセージでした。

フクツのチカラ

 今日は9回目の入学式。
 思い起こせば、東日本大震災直後の、日本が絶望と不安の最中に開智未来の第1回入学式が行われました。あれから8年が過ぎましたが、第1回以来、入学生たちが野の花を持ち寄って壇上を飾る習慣は続いています。
 人間を苦しめる自然と人間をやさしく包む自然。震災と野の花。
 感慨深く、式場を眺め続けました。
 さて、昨年から、入学生たちに名づけた愛称にちなんだ詩を贈ってきました。第9期生は「不屈」。加藤校長先生が初めて付けた愛称です。力強くて逞しい、いい言葉ですね。
 私が贈った拙い詩を、とても恥ずかしいのですが、載せたいと思います。
 ☆  ☆  ☆
 詩 「フクツのチカラ」

 フクツ フツフツ 沸き立つチカラ
 フクツ クツクツ 靴音鳴らせ
 フクツは 僕らの 魔法の言葉

 フクツは 苦痛
 フクツは 普通
 クツウを フツウに 超えてゆけ
 
 フクツは 克服
 フクツは 幸福
 幸せ目指して 超えてゆけ
 
 フクツ フツフツ 沸き立つチカラ
 フクツ クツクツ 靴音鳴らせ
 フクツは 僕らの 合い言葉
 ☆  ☆  ☆
入学生の皆さん、そして、保護者の皆様。ご入学おめでとうございます。そして、ありがとうございます。フクツのチカラで頑張っていきましょう。

子どもたち

 本年度は理事長補佐、開智未来特別顧問、開智国際大学副学長、開智教育研究所所長と4つの職を兼任することになりました。
 その結果、水曜日は半日が開智未来、半日が大学で勤務することになりました。昨日も、家を6時40分に出て大学で8時半から11時まで過ごし、柏から加須まで移動するとともに昼食をとり、午後2時に開智未来に到着しました。今年のテーマは「動き」にあるようです。
 4つの職を兼務していると、当然ながらそれぞれの仕事や役割が違うので、4つのことを頭の中で同時並行して行うことになります。まだ慣れていない私の頭の中はカオス状態です。
 学園と大学と開智未来、「探究、ICT、英語」の推進と教育の基本、言葉力の育成と日本語、哲学とサプリの刷新、哲学と現代思想、実践と研究、理論と文学……。様々な対立項を扱うことになります。
 これらの対立項を大まとめに構造化し、統一化できないか。
これが本年度の私の課題となりそうです。
 4月2日に開智国際大学の入学式がありました。そして、明後日は開智未来の入学式です。
 いろいろな仕事を扱うことになりましたが、目前に子どもたちがいるということは一緒です。そのことが私の原動力になっています。私をカオスから解放してくれるのは、そして、様々な対立項を構造化し、統一化するのは、まさにこの子どもたちだと直感しています。
 明日は新入生の準備登校。そして、4月6日(土)は午前中が在校生の始業式、午後が入学式です。今から楽しみです。

令和

 本年度最初のメッセージです。
 昨日からさかんに報道されていますが、新元号が「令和」となりました。昭和から平成になったときは、昭和が終わって新たな元号になるとは思っていなかったので、かなり劇的な変化のように感じました。しかし、今回は、すでに改元を経験しているので、落ち着いて、しみじみとこの変化を見つめている自分を発見しています。
 理由はわかりませんが、清々しい元号ですね。言葉の響きからでしょうか、新しい一歩を踏み出そうという気持ちになります。
 振り返ると、平成になった時、私は31歳で、上越教育大学大学院で修士論文を仕上げている最中でした。論文のテーマは〈教育学における理論と実践〉で、その後、進学校へ移動し、サプリの前身となる「小論文講座」を開始し、その後、教育委員会、県立高校の教頭・校長となり、開智未来をつくり、60歳でその校長を退きました。
 そして、62歳となって新たな夢に向かう中、令和という時代を迎えることになりました。
 昭和の時代が私の第1段階、平成の時代が第2段階のように思えます。ちょうど31年周期となっています。この法則ならば、93歳まで生きて、第3の段階を過ごすことになりそうですね。
 さて、今朝、開智国際大学への通勤の電車の中で『大学の未来地図』(五神真著、ちくま新書、2019年)を読んでいると、「子どもに夢を託すのではなく、大人が頑張る社会へ」という言葉に目が止まりました。超高齢社会になり少子化が進む中で、子どもにばかり求めるのではなく、中高年自身が頑張らなければならない、という意味です。著者は東京大学の総長です。
 その通りですよね。少なくなった子どもたちに、「ああしてほしい、こうしてほしい」と願いを垂れ流すのは無責任ですね。人生100年の時代を迎えるのですから、60歳くらいはまだ若輩で、自ら夢を追うようでなければならない。それが「令和の時代」の大人のあり方なのでしょう。
 第3段階の31年間を、新しい自分となって頑張っていこう。令和(令私)という響きが、その合い言葉のように聞こえてきます。
 皆様にとって、新たなる「令(よ)き新年度」でありますように。

新サプリの予感

 今朝は「学びのサプリ講座」がありました。
 この講座は本年度初めて行ったもので、高校生の希望者を対象に、サプリをさらに進化・深化させようとの試みで始めたものでした。当初の受講生は40名以上はいたのですが、最終会の本日は9名でした。
 「哲学」の授業で言っていることと重複している部分もありますし、私としてはサプリを進化・深化させているとは思っているのですが、それは一部を深めたに過ぎなく、いつも同じことを言っているような気もします。ただ、1週間分の「やる気」は与えられたのかなと、自分を納得させているところです。
 私の出勤日等の都合で、来年は多分行わないでしょうから、今回が最終回になるでしょう。
 そこで、これまで言及したことのなかった「意思の力」について、その試論を今回初めて提示しました。以下、テキストから抜粋します。
 ☆   ☆
〈意志の力〉
 「気分」では、大学受験という長丁場で戦い続けることはできません(人生も同じです)。「意志」の力(これを精神力とも言いいます)が必要です。
 では「意志」とは何だろうか。
(1) 意志とは自分の中で閉じたものではない。公共性を有するものである。(貢献とはこの公共性にかかるキーワードだったのですね)
(2) 強靱ではないものは意志とは言わない。逆境で意志は鍛えられる。
(3) 意志は心理の上にある。心のあり方(心理)を制御するものである。
(4) 意志と身体は関係がある。まずは身体を鍛えよ。
 ☆   ☆
 今後、もっと深めて、「哲学」の授業で生徒たちに伝えたいと思っています。
 もう一つ、「思う」と「考える」の違いについて考えました。これは日本語学者である大野晋氏や森田良行氏の本から学んだことをもとにしています。私たち大人は子どもたちに「よく考えなさい」としばしば言いますが、私たち自身「考えるとは何か」について分かっていません。とも来年度の「哲学」のテキストでまとめ、さらに実践していこうと思っています。
 「『思う』は『考える』と違って、刹那的判断ないしは、感情の没入で、それだけに対象把握は単一的であって、物事を分析的にとらえる知的行為ではない」
 『思考をあらわす基礎日本語辞典』(森田良行著、角川ソフィア文庫)からの引用です。「思う」とは単一的に思考すること。例えば、「思い込む」とは一つのことに拘泥していることです。対して「考え込む」はあれこれと考えを巡らせていることです。
 そこで、「考える」ための呪文を考えました。呪文1「なぜ、なぜ、なぜ」、呪文2「だから、なぜなら、しかし」、呪文3「ああでもない、こうでもない」です。分析的・論理的・多角的に思考するための方法です。これも来年度のテキストにまとめ上げたいと思っています(今の時点で単一的に思ったことを表明しているだけです)。
 まだまだ進化していきたいですね。
 受講生たちにこんなことを伝えました。
「自分の殻(枠)を打ち破らなければ、つまり、限界を超えなければ、さらなる自分へと飛躍できないし、大きく成長できない。そのためには限界を超えること。そこまで勉強すること、そういう生き方をすることが必要である」(本日のテキストより)
 新しいサプリを創る。目標がまた一つ増えたようです。

思想家になるという夢

 ちょうど1週間前のことです。私の高校時代のことで、ふと思い出したことがあります。
 私は「思想家」になりたかったという事実です。
 ほとんど理解できないながらも、倉田百三や亀井勝一郎の著作、パスカルの『パンセ』などを読み囓り、いろいろと考えたことを文章にできる人になりたいと思った時期が、そうそう、たしかにあったのです。当時は、会社などの組織に入って仕事に就くということなど想像もできなかったので、また、生活するために、そして、家族のために「働く」ということがわからなかったので、自由に考えるだけで生きられる(生活できる=お金を手に入れられる)、そんな都合のよい未来を夢見ていました。今の高校生ならば、「ユーチューバーになる」という夢に近いでしょうか。
 そろそろ、生活のために働く必要もなくなるだろうから、思想家になるもいいかなと、ほんのりと考えるようになりました。詩人になる、ダンサーになる、に加えて思想家になる!です。相変わらず、いい歳をしてふわふわしている人間です。
 そのような生徒がいたならば、「もっと地に足をつけて生きなさい」とアドバイスするでしょうが、私の場合はすでに十分に働いてきたのだから、道楽のようなもの。年寄り相手では、「好きにしなさい」とあきらめるしかありませんよね。
 調べてみると、英語では「thinker」と言うようです。結構単純ですね。広辞苑では「思想が深く豊かな人」。これも至って簡素な定義です。
 そこで安易にもスマホで検索すると、〈デジタル大辞泉〉には「社会・人生などについての深い思想をもつ人。特に、その内容を公表し、他に影響を与える人」とあります。発表の場を持たなければならないし、他に悪い影響を与えてはまずい。思想家はやめとこうかな、としばし躊躇してしまいました。
 さらに、〈ウィキペディア〉を見ると、「様々な思想・考えに関する問題を研究し、学び、考察し、熟考し、あるいは問うて答えるために、自分の知性を使おうと試みる人」とあります。この定義では発表しなくていい。試みるだけでいいのですから、私にもなれそうです。それにしても含蓄のある定義ですね。「熟考し、あるいは問うて答えるため」というくだりに鳥肌が立ちました。
 そこで、まさに熟考して、「思想家として生きる」ことを始めてみようかなと思い立ちました。
 「思想家として生きるとは、熟考して得た思想を生き方として示すこと。つま、行動することである。それを『実践』ともいう」
 私なりの定義を考えてみました。
 そんなことで、このメッセージも最近、少々理屈っぽくなりました。しかし、思想とは熟考したものですから、考えが「熟れ」て、広辞苑の「思想が深く豊かな人」という定義のように、簡素なわかりやすい言葉で表現されてしかるべきです。もっと勉強します。
 私は、開校以来、生徒たちに「哲学」を教えてきました。もしかしたら、高校時代の夢が叶っていたのかもしれません。自分の学校をつくる、自分の本を出版する。中学・高校時代の夢を開智未来で叶えてきした。
 「また一つ叶えたよ」。昔の自分に報告したいと思います。
 さて、もうすぐ新年度が始まります。
 悪い影響を与えないように、身や言葉や行動を正しくして、思想を深く豊かにして、来年度の「哲学」の授業に臨みたいと思います。

感謝の単語カード

 卒業式から一夜明け、今日は中学3年生たちによる「感謝の会」がありました。
 開智国際大学の卒業式と重なってしまい、そちらに出席するため、彼らの進級式に出席できなくなってしまいました。そこで第6期生の進級を祝う詩を書き、その会で読み上げることにしました。
 ☆  ☆
完成と名づけられた子たちへ-中学卒業を祝って-

完成と名づけられた子たちよ
完成年度である6年目の年に入学したことで
喜びのあまり
ふと「完成」という名を与えてしまった

そのとき君たちに
とまどいの夢を投げかけてしまったのかもしれない
いつしか君たちに
手に負えぬ宿命を与えていたのかもしれない

完成とは逃げ水を追うようなもの
目指した地点は、近づけば先へ先へと進み行く

完成は目標ではあるが到達点ではない
それは終点のないベクトルであり
形状のない価値そのものである

完成と名づけられた子たちよ
宿命は君たちをつねに試しつづけるだろう
振り返ってみよ
「再生」の子らが
「完成」の君たちのあとに続いている

願わくば
たどり着いた地点にその両足で立ち
合図の口笛を吹き
その3メートル先をそっと指さし
「完成は未完、未完は完成」と
此の地と彼の地をつなげる呪文を唱えよ

あとに続く者たちのため
さきに生きた者たちのため
 ☆  ☆
 感謝の会の最後に、生徒たちからプレゼントをいただきました。91名の生徒一人一人が、担任や私など関係してきた先生方それぞれに、カードの表面には感謝の言葉、裏面にはその先生のよいところを書き、リングで1つにまとめた、いわゆる「感謝の単語カード」です。
 「開智未来をつくってくれてありがとう」「顧問のいいところは生徒想いのところです」。少々こそばゆくて照れてしまいますが、勇気や元気が湧いてきます。鞄の中に携帯し、辛いときや悲しい時など読み返したいと思います。
 心優しい子どもたちです。ありがとう。嬉しいです。
 さて、同じ時間帯でこれから入学する高校生たちのプレ登校がありました。
 進級生たちと入学生たちがこれから同級生となって、切磋琢磨し、大きく成長していくでしょう。
 4月が待ち遠しいですね。