顧問感覚

コモンセンス

肩の荷を下ろして

 今日は開智未来での勤務です。早朝のアカデメイアで生徒たちと一緒に勉強しました。今日から中間考査ですが、アカデメイアはいつもと変わらぬ空気です。これが開智未来の素晴らしいところですね。
 顧問となって肩書きという肩の荷を下ろして、ありのままの自分を、子どもの頃を思い出しながら、見つめてみると(自分を見つめるほど余裕があるということですね)、自分というものが、つくづく、「臆病で、不器用で、融通が利かなくて、自分本意で、グズグズしていて、組織が苦手で、人見知り」だと思います。これでよく生きてきたものです。ただ、「飽きずに頑張り続けることができて、身の程知らず」なのでここまでやって来ることができたのかも知れません。
 「嫌われるほどではないが人に好かれる人間でもなく、わずかばかりの愛嬌が救いの人間」と、肩書きがなくなったからこそ、正体が丸見えになって、自分を正しく認識できるようになったのでしょう。
 自分よりダメじゃないか、と思う生徒もいるでしょう。安心してください。それでも人間はしっかりと生きていけるものなのですよ。
 それでも、自己を卑下することもなく、自分を嫌いにならない。だから自分というものは面白いと思えるのは、齢を重ねたからでしょう。
 肯定でも否定でもない自己受容。劣等感も優越感も超えた平常感。それでも成長し続けたいという体内エネルギー。
 AIの発展、資本主義の行き詰まり、ネット社会の進展等、社会の急激な大変化が予想される中、自己受容・平常感・体内エネルギーが重要なポイントとなるに違いありません。
 ちょっと話が大きくなりすぎですね。
 これからの教育はどうあるべきか。人間をどのように育てたらよいか。
 考える時間がたくさんあるのが嬉しいです。

懲りない人間

 今日はどうにか歩行できるようになり、開智未来で元気に勤務しています。
 1時間目は中学3年「哲学」です。ねらいは、言葉と思考。61歳の私が考え尽くしたことを、丁寧に伝えることを意識して授業を行いました。
 「哲学をお子様ランチにしたくはありません」
 こんなことを生徒たちに言いました。
 中学3年という発達段階は考慮しますが、相手は中学生だからと話のレベルや内容を落とすつもりはありません。大人にも通用する、小ぶりですが質も味も良いハンバーグやナポリタン、フライドポテトを提供したいと思っています。
 「人間は一つの美徳があれば、その美徳で立派に生きていけるものです。あなたにはどんな美徳がありますか」と生徒に投げかけたあと、「長所と美徳の違いを説明しなさい」という課題を出しました。
 大人でも難しい問いです。私も考え続けています。
 「自分で使う言葉は自分で説明(定義)できなければなりません。自分で説明できないような言葉を話しているから考えが深まらないのです」
 生徒相手でも真剣勝負できる、現役の人間であり続けたいものです。
 ちなみに、私は「現役の人間とは、全力で走り、全力で生き、成長し続けようとする者である」と定義しています。
 早く足を治して、全力で走りたいです。本当に懲りない人間です。

身の程(つづき)

 昨晩から腰から両足にかけての筋肉痛、さらに、悪化した左膝痛で苦しんでいます。今朝はまともに歩行できない状態で、内臓も少々ダメージを受けているようです。
 これが、今の私の「身の程」なのですね。
 それでも、昨日の「強烈走」をすでに懐かしんでいて、正しくトレーニングして体調を万全にして臨めば、もっと楽しく走れるだろうと考えています。我ながら全く懲りていません。
 今現在かなりの痛みを感じているのに、歩行困難なので大学に出勤できないと欠席連絡をしているのに、さすがに医者に行こうと思っているのに、身の程を忘れてしまっている。
 この自己意識こそ、人間の不思議で面白いところなのかもしれません。
 もちろん、いつかは身の程を受け入れなければならない時が来るでしょう。しかし、それまでは強烈に身の程を忘れて生きていきたいですね。
 自転車で日本中を走り回りたい。野山を歩き回りたい、できれば走り回りたい。開智学園の仕事では若手教員を育てる取組をしたい。日本に開智教育研究所の成果を広めたい(まだ成果すら出してはいませんが)。英語を使えるようにして、勇気をもって海外へ出向きたい。まずは、12月のこいのぼりマラソンで10キロメートルを生徒たちと一緒に激走したい。身体表現発表会で創作ダンスを踊りたい。そして、1月19日(土)の合格祈願走では湯島から再度走りたい。
 人はときどき身の程を言い訳の材料にする。
 身の丈に合わすのではなく、身の丈を伸ばす。
 今日は自宅で静養することにしました。左足がしきりに疼いているのですが、身の程知らずの夢に向かって、一日を過ごそうと思っています。

身の程知らず

 プレ合格祈願走をどうにか走ってきました。
 計画では春日部駅まで35キロメートルを走るつもりでしたが、今の私にはその力がなく、北越谷駅までの25キロメートルまでとなりました。
 走りながら、つくづく「身の程知らず」だと思いました。普通なら身の程の範囲で、せいぜい10キロメートル当たりが順当でしょう。実際、10キロを過ぎてからは足が痛くて、一時期走れませんでした。しかし、不思議ですね。身の程を知らんふりしていると、だんだんと、ゆっくりですが走れるようになってきて、しかも、辛いのですが楽しくなってきて、時々幸せな気持ちにもなってきました。
 身の程知らずだからこそ味わえる幸せ。
 そんなことを感じていました。
 考えてみれば、開智未来を創ったのも身の程知らずだったからでしょう。身の程知らずに、各地でサプリを行って、開智未来生たちが集まってくれました。私が身の程を知っていたら、きっと開智未来はこの世に出現しなかったに違いありません。
 身の程知らずは、けっして自信家ではありません。ただ自分の出来る範囲に対して無知なだけです。
 小賢しく自分を知るよりも自分を知らぬ方がいい。
 これからアスリート、アーティスト、そして、フィロソファーになりたいと身の程知らずに考えています。

強烈

 今日は大学勤務の日。柏駅までの電車の中で『自分の始末』(曾野綾子著、扶桑社新書)を読み返しいると、「いい生涯というものは、例外なく強烈だ」という、鮮烈な言葉に出会いました。
 「強烈な人生」
 私が追い求めている人生のあり方を、見事に表現した言葉を発見して小躍りしてしまいしまた。。
 これまでうまい表現が見つからずに、自分がどのような生き方をしたいのかがはっきりとわかりませんでした。言葉を獲得しないと私たちは自分の知りたいことを理解できないものです。
 よい悪いではない、成功した成功しないではない、人から評価されるされないではない、自分として納得する生き方。
 「強烈な」とは利害でも理屈でも捉えることのできないもので、「鮮やかさ」や「まぶしさ」を伴った形容動詞です。わずかながら美意識も含まれ、かといって審美的ではない。
 県立高校を辞して開智未来を開設した9年間は、私にとって強烈な人生でした。妻子を実家に戻して上越教育大学大学院で学んだ2年間も強烈な時代でした。
 これからは「強烈」を呪文にして毎日を過ごしてみようと思います。
 明日は、プレ合格祈願走を強烈に走り・歩きたいと思います。湯島天神から春日部駅までの激走ならぬ「強烈走」です。実際、左膝痛と両足の慢性筋肉痛で辛くなりそうですが、「強烈走」と考えれば、元気に楽しく・苦しく(楽苦しい:たのくるしい)頑張れそうです。
 まず、これから夕方の会議までの時間を、強烈に草取りをしたいと思います。

「10時間勉強マラソン」実施中

 今日は高校部の「10時間勉強マラソン」です。台風が逸れたので予定どおり8時30分から実施しています。会場はアカデメイア(高校1・2年会場)とリュケイオン(高校3年会場)です。
 アカデメイアでの学習が大好きな私は開校以来、用事がない限りこの勉強マラソンに参加しています。何しろ、10時間アカデメイアで生徒と一緒に勉強できるのですから、こんな幸せなことはありません。残念ながら、本日は午後から家の用事があるので午前のみの参加です。
 この勉強マラソンという教育活動は、私が県立高校の教頭時代に平成18年度に発案しました。その時の勉強マラソンは高校3年生対象で、早朝から夜7時まで、会場となる教室で各自がただ勉強するというものでした。途中、気分転換を兼ねて近くの神社に合格祈願をするというイベントもありました。
 このような50分のユニット学習形式になったのは開智学園に移る1年前、県立高校の校長の時でした。いかに集中して長時間勉強するか。人間の集中力はせいぜい90分が限度と言われています。マラソンでも最初からとばさずペースを守ることが大切。勉強マラソンのやり方も進歩してきました。この県立高校で勉強マラソンを一緒に企画・実施したのが、県立高校を辞めて開智未来に来てくれた工藤先生や寺岬先生で、特に工藤先生は開校以来、この取組の中心となってくださいました。感謝です。
 今日の勉強マラソンでは、2つのねらいを生徒に示しました。一つは「集中力を持続させること」。もう一つは「単位時間学習量を増やすこと」です。単位時間学習量とは1時間当たりに学習できる量のことで、自分の学習量を把握し、その量を増やすよう工夫・努力することが大切です。私もそうなのですが、学習計画を立てるとその計画の半分も達成できません。だから場当たり的な勉強しかできません。この考え方は大人になって仕事でも生かされるはずです。
 参加生徒たちは集中して勉強しています。その中で一緒に勉強できるのですから本当に幸せで、また、予定したこともほぼ100%出来ました。私の単位時間学習量もまだ衰えていないのでは、とさらに幸せな気分になりました。
 多くの先生方が来てくれています。開智未来の先生方は勉強好きです。安心してバトンタッチしてこれから家に帰ります。

向かう力、押す力

 10月11日のプレ合格祈願走へ向けて、昨夕、ジムのルームランナーで5キロメートルほど走ってみました。最近は、自転車やダンスが中心でだったので、久しぶりにジョギングで汗を流しました。
 今朝起きると、筋肉痛に加え、未来祭のダンスで痛めた右膝が悪化していました。今日は歩行も困難です。
 春日部駅までの35キロメートルは、この状態ではちょっと非常識な挑戦かもしれませんね。普通の人ならば絶対にこんな無謀なことはしないでしょう。自分のことながら「変な人間」だと思います。
 「変人であるには力が必要」だと私は考えています。力とはパワーであり、志であり、身体であり、心の力です。
 最近は、ちょっと人と違うことをすると、匿名の無数の、しかも無責任な一般常識によって炎上する時代です。批判が怖くて縮こまっている時代です。
 そんな時代に抗いたいという気持ち、生徒たちへの「愛」(自分で言うのも変ですが、やっぱり開智未来生はかわいいのです)と「感謝」(この学校を選んでくれたことへの感謝です)、そして、頑張っている生徒の姿が、この無謀への原動力となっています。
 当日は、湯島天神に生徒の名前を書いた絵馬を掲げて、全員が大学入試を完走することを祈願し、生徒たちが自分の氏名と意気込みを書いたTシャツを着て走ります。
 絵馬の表面には「全員完走!前へ!! 開智未来中学・高等学校 2018.10.11」と書きました。
 私の無謀が生徒たちの「前に向かう力」を「後ろから押す力」になればと願っています。

恩返し

 今日は大学での会議がなくなったので、急遽開智未来に出勤しました。
 私の出勤日の月曜日、木曜日、土曜日は、始業前にそれぞれ、学びのサプリ講座、東大ゼミ先端コース、そして、東大ゼミがあるので、今年になってから早朝のアカデメイアで生徒たちと一緒に学ぶ機会がありませんでした。今日は久しぶりにアカデメイアで勉強しました。
 やっぱり、アカデメイアは最高ですね。
 開智未来生たちの真剣な気迫というか、清涼で凛々しい空気が私に伝わってきて、身震いするほどの清々しい意欲が湧いてきました。
 彼らから伝わってくるものの、その本体は何なのだろう。
 今日は改めて考えさせられました。
 生命の持っている、成長しようとする力。
 膨大なる未確定な未来。
 代わりに、私が開智未来生に伝えられるものは何だろう。
 老木の厳しさとゆたかさ。
 不滅なる変化への意志。
 どうにか機会をつくって、月に1、2回はアカデメイアで生徒たちと「共振」したいですね。
 さて、別件ですが、10月11日(木)に「プレ合格祈願走」をすることにしました。この日はセンター試験100日前で、高校3年生たちが大学入試で最後まで走り切れるようにと、企画しました。
 開智未来を応援する-これが顧問の私の仕事です。
 もちろん、センター当日の合格祈願走も行いますが、今回は時間をかけてゆっくりと走って、どうにか春日部駅まで約35㎞を目標とし、そこから電車で学校に向かうつもりです。
 老骨にむち打つ姿が、少しでも、生徒たちの困難を乗り切る力になればと願っています。生徒たち、そして、開智未来への、わずかばかりの恩返しです。
 私が開智未来生に伝えられるものは何だろう。
 問い続けていきたいと思います。

ほのかな幸福感

 大学の勤務は時間的に余裕があるので、空き時間に草取りをしています。
 このようなことをしているのは、開智未来の開校時を思い出すからです。もう8年も前になりますが、統廃合された県立高校の跡地に開設したので、校庭は草で覆われていました。開校後も生徒数は少なく、保護者の方の熱心な協力で凌いでいました。朝早く出勤すると、植え込み当たりの草取りをしている保護者の方に何度もお会いしました。
 「うちの子がお世話になっているのでお礼の気持ちです」
 懐かしい思い出です。
 せっかく開智未来に来てくれたのに、その学校が雑草で荒れた学校では申し訳ない。
 学校に到着すると、まずは雑草に目がいき、心が痛んだものでした。
 大学も自然が豊富で、至る所に草が目立ちます。せっかく来てくれた学生に申し訳ないな、と草取りを始めた次第です。
 特に、植え込みに「ヤブガラシ」という、地下茎で繁殖する蔓草が茂っていました。私が住んでいる農村地域では、農家の方が嫌っている植物です。
 草取りの装束に着替えて、各所にある「ヤブガラシ」は完全に取り払いました。
 次は、芝生の中の草です。
 これは途方もない作業になります。カミュの小説『シーシュポスの神話』(新潮文庫)のシーシュポスのように、取っても取っても生えてくる草と格闘しています。
 果たして私が行っていることに意味があるのだろうか。それでもその苦行のような営みに、ほのかな幸福感を感じています。
 カミュはこの小説で「生きることの非条理」を表したと言われていますが、私は途方もない雑草との闘いに、無意味のようでもゆたかな時間を感じています。
 昨日、いつものように草取りをしていると、近所に住む方から「シルバーさん」と声をかけられました。
 「そのような者ですね」と答えながら、楽しい気分になっています。あの時の保護者の方も同じような気持ちだったのかしら。

後半期へ

 台風一過。一昨日は天気は快晴でしたが、台風の置き残した災禍により交通機関が乱れ、午後は放課となりました。準備していた哲学や早朝講座の「学びのサプリ」を実施できなくて、肩すかしの1日でした。
 さて、昨日は週休日で、午前中は自宅の庭や畑の後片づけをしました。ゴーヤ棚は柱が折れ、モロヘイヤや紫蘇はすっかり倒れていました。その他にも、コスモス、皇帝ダリア、バラ、その他の草花も整えました。
 ゴーヤとモロヘイヤは時期が終わったので、これを機に引き抜きました。ゴーヤは120個ほどの実を付け、8月・9月は1週間に5日以上食卓に登場し続けました。ちなみに昨年は200個以上の実をつけました。今年の夏は、猛暑のせいかゴーヤもミニトマトも実のなりが悪く、それに比べモロヘイヤは見事に壮大な林となり、強靱な生命力を発揮しました。
 私の自室から眺められる、庭の中にある小さな畑は、これで、2本のナスの木と満願寺唐辛子1本を残すのみとなりました。目前の葡萄棚も、本日最後の1房を採り、夏の風景はほとんど消えてしまいました。畑の端にある柿の木は、ほのかに実が色づき始めました。
 一年を通して畑を窓から見渡し続けていると、この畑の様相が人生のように見えてきます。
 春から夏にかけての、成長していく野菜の、まばゆい光景。生徒たちを見ているような気分ですね。
 今日は10月3日。大学で勤務です。平成30年度も後半期になりました。