顧問感覚

コモンセンス

生きている実感

 高校3年生のセンター試験、そして、中学校入試全日程を終え、新たな週を迎えました。
 高校3年生諸君、中学受験生の皆さんは全力を出せたでしょうか。人生は続きます。まずは一歩、さらに一歩と前に向かって力強く進み続けてくださいね。
 さて、私の方ですが、合格祈願走(歩)では約17キロを踏破しました。その日の夜から膝が痛み、今も歩行に支障が生じています。
 歳は取りたくないものです。
 しかし、その痛みが生徒たちが直面している現実に、ささやかながらも私も関わっている証に感じられます。
 苦痛や絶望、焦りや緊張こそ、生きている実感。ものごとはマイナスに捉えるのではなく、プラスの意味で受け取るべし。
 苦闘している受験生に伝えたいと思います(自分に言い聞かせていることでもあります)。
 さあ、これからです。がんばれ!

祈り

 明日は、センター試験の初日、そして、開智未来の中学入試の最終日。開智未来に関わる様々な人の、様々な思いが注ぎ込まれる一日になります。
 大学入試を経て、3月に開智未来を卒業していく高校3年生たちには、センター試験で自分のもっている力を発揮してほしいと思います。明日は大学入試のスタートでこれから1か月を超える、自己との戦いが始まります。本日の集会で話しましたが、「立ち向かうこと」と「無心になって(問題を解くことに)没頭すること」が大切だと私は考えます。彼らが、一人で生きることを開始する瞬間です。開智未来を選び、3年間または6年間をここで過ごしてきた開智未来生よ、頑張れ!
 それに対し、中学入試は探究型入試も合わせると6回ある入試の最後となります。これまで落ち続けた受験生もいると思いますが、最後まで立ち向かってほしいと思います。最後まであきらめずに戦った者は、必ず何かを得ることができる。それは自信であり、自負心であり、納得であり、そして「合格」でありましょう。小学6年生でありながら、ひたむきに問題と格闘していた、未来の開智未来生の皆さん、頑張ってくださいね。
 さて、私は恒例の「合格祈願走」を実施します。10月のプレ合格祈願走で25キロメートル走って痛めた膝が完治していないので、歩くような祈願走になりますが、開智未来に入学してくれた君たちへの、お礼と感謝の気持ちで湯島天神から草加駅までの15キロを走破したいと思います。この合格祈願にはH3学年主任の寺岬先生と伊東先生も参加します。特に伊東先生は春日部市の試験会場まで走る予定です。
最後まで開智未来中学に受験してくれた皆さんにお会いしたいので、草加駅から電車で柳生駅に移動し、12時には学校に到着したいと思っています。これから開智未来を飛び立つ受験生、そして、これから開智未来で学ぼうとしている受験生のために、それぞれの思いを感じ取りながら、走って(歩くように見えるかもしれませんが)きたいと思います。
 戦うのは受験生。私たちにできることは祈ることだけです。
 開智未来に入学してくれてありがとう。開智未来を目指してくれてありがとう。走りながら祈り続けたいと思っています。

一夜明けての夢

 昨日、第1期中学入学生の「成人式の集い」がありました。
 成人式後の集まりは、地元の出身中学校ごとに行われることが多く、中高一貫生にはそのような場がないことから、同窓会を兼ねて大宮に集まりました。参加者は約7割。教職員も7名が集まりました。
 中学入学生は説明会や入試からの付き合いで、小学生時代の姿も知っています。12歳の頃の面影を、目前の二十歳の彼らに見出しながら、ビールを飲み交わしていると、まるでわが子と対面しているような気分になりました。
 まだ学校が完成していない頃から、各地でサプリを行いながら説明会を実施し、5人、10人と集まった親子を前に、開智未来の夢を語り、集まってきてくれた彼らです。
 彼らは開智未来に入学して幸せだったのだろうか。この学校を選んだことは誤りではなかっただろうか。
 校長として彼らを迎えた者として、ずっと自問してきたことです。顧問となった今でもその自問は続いています。学校を開いた校長として、これからもずっと背負っていく問いでありましょう。
 こうやって多くの卒業生たちが来てくれたのだから、きっと彼らはこの学校を選んだことを悔やんではいないに違いない。
 帰りの電車の中で、第1期生たちからいただいた花束を見つめながら、そんな希望的観測を反芻しました。
 これまで高校入学生も含め、多くの卒業生がこの学校で大切な時期を過ごし、巣立っていきました。今年の3月には第6期高校入学生と第3期中学入学生が卒業します。
 開智未来がどんな学校であるか。それは卒業生たちの未来の姿によって決まるでしょう。大人になった彼らの未来こそが開智未来である。そんなことを考えながら、いつしか、彼ら自身が開智未来の教員として、また、彼らの子どもたちが開智未来生として戻ってきてくれることを、一夜明けて、夢みています。

未来の足音

 中学入試2日目。今日は午前中は「探究型入試2」、午後は「未来A入試」です。
 昨日よりも温かい朝となりましたが、強い風の中、85名の受験生が開智未来に集まってきました。
 さて、昨日の合格発表では、合格発表サイトへのバナーを貼った本校ホームページへのアクセスが集中し、サーバーがダウンしてしまいました。すぐに志願者の皆様へはメールにて合格発表サイトのURLをお送りさせていただきましたが、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。
 8年前のこと、本校初めての、第1期生の第1回入試においても同じことがありました。その時は本校のホームページ上で合格発表をしたのですが、やはりアクセスが集中して、ホームページ自体が壊れてしまうという事態になりました。第1期生たちの、新設の開智未来への思いが強かったからでしょう。深夜午前2時まで当時の加藤教頭と西木広報部長で対応したことも今では懐かしい思い出です。その後、現在のように合格発表サイトを通して無事に発表をしてきたのですが、今年度は、受験生が増加し、その熱い思いが臨界面を超えてしまったのかもしれません。新たな改善をしていきますのでよろしくお願いいたします。
 今、午前中の「探究2入試」が終了しました。多くの受験生たちは「ありがとうございました」と私に声をかけてくれます。素敵な子どもたちです。
 午後は「未来A入試」です。受験生の皆さん、頑張ってくださいね。
 強風の中、あらたな「未来」の足音が聞こえてくるようです。春が待ち遠しいです。

頑張れ、中学受験生!

 大変遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
 最近、常套のフレーズになってしまいましたが、「久しぶりのメッセージで申し訳ありません」。文章を書いて公表するという緊張感に耐えられないほどの「身心度」になってしまったのでしょうか。深く反省する次第です。
 さて、今日から中学入試が始まりました。今日は、午前中に「探究1」入試、午後は「第1回入試」です。
 今朝は、氷点下の中、開智未来で受験生を迎えました。
 「おはようございます」。息を白くして挨拶をしてくれます。「頑張ってね」「ありがとうござます」。礼儀ただしい、そして、素直な受験生たちです。きっと第9期生もいい開智未来生になる。嬉しくなりました。
 あれから8年。
 中学第1期生たちは4日後、成人式を迎えます。開智未来の初めての入試のことを思い出しました。その後、こうやって毎年、挨拶を交わして受験して、開智未来生たちは未来に入学してきました。
 ここに未来がある。私の物語が始まる。
 やはり感無量です。
 未来の開智未来生の皆さん。これから続く、受験の日々を頑張ってくださいね。そして、ぐんぐん成長していってくださいね。
 もうすぐ午後の試験が始まります。受験生の皆さん、頑張ってください。応援しています。

久しぶりのメッセージです

 本当に久しぶりのメッセージです。
 ホームページが更新されて、メッセージを送信できるように調整するのに時間がかかたことも一因ですが、加えて、私が楽を覚えてしまったことも原因だと反省しています。
 何を書こうか。どんなことを書いたらこのメッセージを読んだ人のためになるだろうか。
 文章を書くことも大変ですが、それ以上に、何を書いたらよいかを考えることの方が難しい作業です。書くためには本を読んだりして勉強しなければなりませんし、成長しなければなりません。そういう意味で、このメッセージを書くことは日々の生き方が問われるので、楽をしたいと思ってしまったのでしょう。
 開智未来の開校前、つまり、8年前からこのメッセージを書き始めて、執筆が私の生活の一部となっているので、やはり、これを書かないと、大切なことをせずに1日過ぎてしまったという気持ちになってしまいます。
 生徒たちに負けないように勉強して、そして、少しでも成長して、メッセージを書き続けたいと思います。
 さて、今日は冬期講習の最終日。明日から本格的な冬休みに入ります。そして、新年を迎えることになります。これからもよろしくお願いします。

学びの道

 ご無沙汰しています。久しぶりのメッセージとなりました。
 さて、昨日に引き続き、今日も大学勤務です。
 自宅から大学まで2時間強かかります。往きは加須駅まで妻に車で送ってもらうのですが、帰りは徒歩となります。はじめの頃はこの長い通勤時間が「つらいな」と思っていましたが、連日の通勤も心地よくなってきました。
 やはり考え方一つですね。
 まず、大学と柏駅間の約30分の徒歩ですが、先日のメッセージにも書きましたが、「哲学の道」(The Road for Philosophy:略してRFP)と名付けました。もちろん、ウォーキングのエクササイズでもあり、姿勢をただして歩きます。背負ったDバックは重りとなります。併せて、歩いたり自転車に乗ったりしている人々の観察もします。今日はウォークマンで英語の音源を聴いてリスニングの勉強をしました。歩くリズムと身体活動が思考を深めてくれます。
 春日部と柏間は必ず座れるので、私にとって動く書斎になっています。Dバックを机がわりにして、資料を読んだりノートを書いたりして45分間を過ごします。往きは柏駅が終点なので乗り越す心配はないのでかなり集中できます。しかも、雑踏の中は集中できるものです。スタバで勉強がはかどるのと同じです。さらに、ほどよい振動も思考力を高めるようです。
 加須-春日部間は座れません。そこでつり革につかまりながら、足腰のトレーニングをしながら、「想起法」を実行しています。ポイントはテーマを設定することです。今日は「失敗が成功のもとになるのはなぜか」について、頭の中で英語で説明しました。英語のリスニング勉強をするときもあります。
 そこで電車の中を「移動学習空間」(Moving and Learning Space:略してMLS)と名付けることにしました。
 帰りの加須駅から自宅までは、約20分間、田園風景の中を歩きます。川沿いを歩いたり、木々の中を歩いたりしながら、五感を研ぎ澄ませて、自然を楽しみます。「観察の小径」(Observating Path:略してOP)と名付けました。
 さて、大学の会議が終わったので、これから自宅へ戻り、用務があるので開智未来へ行きます。今日は「職場のハシゴ」です。RFP→MLS→OPのプロセスを満喫したいと思います。ちなみに、自宅から開智未来までは車です。車内では、12月13日の身体表現発表会に向けて、音楽に合わせてダンスの練習をしながら運転する予定です。「Dancing Drive」。DDです!

人が見える

 今日は大学です。やはり、開智未来とは別世界ですね。
 不思議です。私はどこにいても私なのに、開智未来にいる私と大学にいる私が自分自身違う人間であるように感じてしまいます。
 柏駅から大学まで、25分の徒歩での移動中、通りの人々や住宅を見つめながら、いろいろなことを考えています。歩くのは大変ですが、けっこうお気に入りの時間です。
 この家ではどんな人が住んでいるのだろう。
 どんな団らんがあるのだろう。
 この花を植えたのは誰だろう。
 こんな「開智未来の教育」の詩(アフォリズム)を考えました。
〈見る①〉(「五感」シリーズ)
 そこにいない人を意識して見る。
 刈り取り後の、蘖(ひこばえ)の田んぼを見ながら、春に田植えをしていた人を見出す。
 雨戸の閉まった2階の部屋を見上げながら、育った子供たちの姿を見出す。
 そこにいたであろう人の姿を私たちはありありと想像することができる。
 この世界は人に満ち溢れている。
 それほど、人間は人間が好きということだ。
 
 さて、明日は中学部の合唱祭です。私は南浦和の日能研で親サプリをしてから向かいますので、会場には1時20分頃到着します。ぎりぎり間に合うでしょうか。
 一生懸命練習している姿がありありと浮かんできます。
 それほど、開智未来生が好きだということなのでしょう。

試み

 先日、一昨年出版した『学びのサプリ』の第2弾として『学びのサプリ(詩集編)』の企画を思いついた。論理的な説明では間延びする。科学的に追究するにはもっと学問を深めなければならない。理論化は別の機会とするとして、論理になる前の直感を「詩」として表したら、よりサプリの思想が広がり、また、深まると考えたからである。しかも、情感に届けることができる。
 そこで、開智未来のキーワードを詩にする作業を開始した。一種のアフォリズムである。
 この作業がなかなかおもしろい。『学びのサプリ』は筆が進まなかったが、今回はふと気がつくと、サプリの詩を考えている自分がいる。
〈未来スマイル〉
 きっと、生理学的に、心理学的に、そして、哲学的に説明できるのだろうけど、笑うと幸せな気分になる。
 唯一、意識的に笑うことのできる動物である人間は、カブトムシや水仙の花やイヌやネコよりも、幸せな生き物であるにちがいない。
  スマイルを掲げた学校。
 未来へのスマイル。
〈うなずき〉
 意識してうなずくと幸せを感じることができる。
 無意識にうなずく人はすでに幸せである。
 だが、幸せである人は特段に幸せを感じることはない。
 しかし、幸せを感じる人より、間違いなく幸せである。
 「であること」と「感じること」。
〈嗅ぐ〉(「五感」シリーズ)
 朝食の香りを楽しんでいるかな。
 早春の沈丁花、初夏のクチナシ、初秋の木犀はさらなり、
 春は桜、夏は夕立、秋は栗、冬は雪。季節を嗅ぎ取る臭覚を持とう。
 そうすれば、人格の臭いを嗅ぎ分ける人になれるよ。

いい所

 ただ今、16時43分にカナダFWの2Hの生徒たちが羽田空港に到着したとの電話が校長先生から入りました。これで初めてのアメリカとカナダの同時進行FWが無事終了しました。
 開智未来は夕暮れ。職員室では、先生方が安堵の表情で、仕事をしています。
 やっぱり、ここはいい所です。

わが子の重み

 2Sの生徒たちがワシントンFWから無事成田空港に到着したとの連絡が入りました。カナダFWの2Hの生徒たちももうすぐ到着するでしょう。加藤校長、藤井教頭、そして引率の先生方、お疲れさまでした。
 1週間ずっと開智未来で勤務して、久しぶりに担いだ肩の荷が、今、下りようとしています。やはり、開智未来中学・高等学校はずっしりと重いですね。あたかも、昔背負ったわが子の重みを懐かしむような気持ちです。
 この間、十分に時間があるので、哲学の授業や東大ゼミ・先端コース以外に、高校3年生の面接指導をしました。どの生徒も真剣で、そして、純粋で、成長していました。これもまた楽しいひとときでした。
 さて、明日から、開智未来と大学で交互に勤務する日々に戻ります。しばらくは背中が寂しいかもしれませんね。
 気が付けば11月。私にとって大きな変化のあった平成30年も残すところ2か月となりました。一日一日を大切にしていきたいですね。

山河あり

 久しぶりのメッセージです。すみません。
 加藤校長と藤井教頭が、共に海外FWを引率しているため、この間管理職が不在にならないようにと、大学で勤務せずに開智未来に先週の木曜日から毎日来ています。昨年までは当たり前のことでしたが、懐かしい気分になっています。昨日は、宇都宮線が人身事故で不通になり、慌ただしくその対応をしました。
 校長の頃は、週休日であっても登校時間の交通状況が気になりました。また、台風が来るとその対応へ向けて準備を始めました。今日でちょうど1週間、そんな気分になっています。明日の夕方、アメリカから、そして、カナダから生徒たちが帰国します。あと1日半。高校2年生たちは現地での最後の夜を過ごしているはずです。
 今朝は冷え込んだので、開智未来から360度、山々のパノラマが見えました。富士山はすでに上部が雪に覆われ、北東の筑波山、西北の男体山、西へ目を転ずると、遠くに信州の山々、さらに秩父の山々や浅間山、そうして、南には富士山が見えます。
 「何もないところですが、360度の山々とゆたかな田園があります」
 そんなうたい文句で開校初年度に集まってきた中学入学生はすでに大学2年生に、高校入学生は社会人1年生になっています。
 「夢叶って山河あり」(「夢破れて山河あり」のパロディです)。
 第9期生の生徒募集も大詰めの季節となりました。360度の山々とゆたかな田園を目指して、開智未来に向かっている凛々しい表情が浮かんできます。
 やっぱり開智未来はいいですね。
  再び、高校2年生の皆さんへ。大きく成長して、元気に、開智未来に帰ってきてくださいね。

先生方の未来

 今日から高校2年生たちは海外フィールドワークです。
 ワシントンFWは午後2時に成田駅集合、カナダFWは午後3時30分に羽田空港に集合とのこと。開智未来生の皆さん、パスポートだけは忘れないでくださいね。天気も快晴。快適なフライトを祈っています。
 さて、校長先生と教頭先生が引率していますので、この間、顧問の私が管理職の一人として学校の留守番をしなければなりません。大学の学長にお願いして、11月1日(木)の夕方に校長先生と教頭先生が帰国するまでは、毎日開智未来に出勤することにしました。
 今年になって、月曜日が開智未来、火曜日が週休日、水曜日が大学、木曜日が開智未来、金曜日が大学、土曜日が開智未来、と交互出勤の腰の据わらない生活をしていたので、新鮮な気持ちです。しかも、大学へはDパック、開智未来には鞄で出勤し、毎回荷物を入れ替えていたので、シンプルな生活になりそうです。
 今朝は、始業前に中学3年生の「先端コース」講座を行って、職員朝会を行いました。これから四谷大塚柏校で学校説明があるので、出張になります。3月までの生活に戻ったようで懐かしいです。
 校長時代は肩に力が入っていましたが、本日、朝会でこの間のことについて話をした時に、先生方のまなざしの真剣さと温かさを感じ、いい先生方だなとつくづく思いました。
 先生方はこの開智未来での仕事を楽しんでいるだろうか。自分を生かしているだろうか。それぞれの思いがあると思います。それぞれの人生があります。それがいとおしく感じられるようになりました。
 開校したときに、開智未来の「未来」について、それは生徒たちの未来、保護者の皆さんの未来、教育の未来、日本の未来、そして、先生方の未来と言ったことを思い出します。もちろん、私の未来でもあります。
 それから8年が過ぎようとしています。今はあの時の未来です。私は、この先生方に、もちろん一部ではありますが、どのような未来を差し上げることができたのだろう。ふと、そんなことを考えてしまいました。
 では、これから柏市に行ってきます。柏市にある開智国際大学には今日から11月1日まで出勤しないことになったのに、初日から柏市に行くことになりました。妙な気分です。
 それから、高校2年生の皆さん。勇気をもって意欲的に、充実したFWを送ってきてくださいね。

いい気持ち

 昨日、週休日に大学へ出勤したので、今日は振り替えで自室にこもって『月刊高校教育』の原稿を書いている。
 明後日の昼が最大限度の締め切り。まだ一行も書けていない。そろそろ書き出さなければ間に合わなくなるので、やっとワープロに向かったが書き始められない……。そんな最中にこのメッセージを書いている。
 親サプリで「グズはいけない」と言いながら、筋金入りのグズである。
 「差し迫って崖っぷちに追いつめられれば、神が降りてきて、必ず原稿が書ける」
 そう言い続けて10年が経つ。
 さすがに、これまでなら一行ぐらいは書き始めていた。今回はその一行も出てこない。
 昨日のメッセージに書いたように、「やっぱり焼きが回ったか。」
 今回の原稿のテーマは「反応」である。もちろん、「6つの授業姿勢」の「反応」のことである。言いたいことは、反応という日常語を、教員の側からも生徒の側からも深めて「教育用語」へと高めた、と言うことである。少々、自画自賛であろうか。
 400字詰め原稿用紙11枚。エッセイ風に仕上げることを旨としているので、読売新聞のコラム「編集手帳」よろしく、話を左右へと動かして、まとめてみたい。もちろん、私の力量を超えている。
 先日、編集長と電話で話をした。
 「今、教育現場に元気がないと思うんです。ですから、読者が元気の出るような、頑張っていこうよと声を掛けるような原稿にしたいですね」
 「いいですね。お願いします」
 後悔している。その言葉が足かせになっている。
 われながら、さっさと取りかかればいいのに。でも、日本中にいる読者を元気づけたい。その志を察して、神はきっと降りて来てくれるだろう。
 このメッセージを読んだ開智未来生たちは、顧問の私のグズさに嘲笑するに違いない。私以下だね、と。
  弱みを見せられるのも顧問の特権である、と開き直ってみる。
 やっぱり焼きが回ったか。
 でも、それも結構いい気持ちである。
〈追伸〉
 明日から、高校2年生たちは海外フィールドワークです。中学入学生はアメリカへ、高校入学生はカナダです。準備は出来ましたか。英語が心配な人もいるでしょう。12時間という長いフライトを不安がっている人もいるでしょう。勇気をもって思い切り海外に飛び込んできてくださいね。

ロースト

 昨日のメッセージに表れているように、最近妙にやさしくなってきたように思える。
 今朝、柏駅から開智国際大学へ向かって歩いていると、小雨の中、スーツ姿の母親が幼児を自転車の前に乗せて、駅に向かう坂を上っている。きっと保育園に寄ってから会社へ出勤するのだろう。3歳くらいの男児が私の方をちらっと見た。かわいい盛りだ。共稼ぎだろう。これから大変な時期が続くだろう。男児はどんな人生を歩むのだろうか。
 ある会社の門近くで、初老の女性がカッパを着て草取りを始めようとしている。かなりの歳に見えるが収入が必要なのだろう。人間は生きるために働かなければならない。私はその年齢まで働けるだろうか。
 大学の近くにある家は、2階の雨戸がいつも閉まっている。老夫婦が住んでいるが、現在、2階を使っていないに違いない。昔はこの2階に子ども部屋があって、子どもたちは巣立っていったのだろう。手入れされた庭木に雨露が結んでいる。
  その度に、なぜか胸がつまる。彼らはどんな思いで生きてきたのだろうか。
 焼きが回ったのだろうか。焼きが回ってもほどよいローストなら香りのあるコーヒーになる。オーバーローストでは苦くて閉口だ。
 大学へ行く時は、加須駅まで妻に車で送ってもらっている。今朝も家に戻っていく妻の車を見送っていると妻の運転する姿が見える。彼女はどんな思いで生きてきたのだろうか。
 やっぱり焼きが回ったか。

遅ればせながら

 2学期に入ってから月曜日が休日のことが多く、1か月半ぶりの月曜日の「哲学」(中学1年、中学2年、高校1年)の授業でした。
 それぞれの発達段階に応じて、中学1年「哲学」では「学び合い」を、中学2年「哲学」では「中学2年という時期」を、高校1年「哲学」では「考えるということ」をテーマにして授業をしました。その時々の自分を思い出しながら、タイムマシーンで旅しているような1日でした。
 久しぶりに会ったからでしょうか、真剣に授業を受けている各学年の生徒たちを見ながら、どの生徒もかけがえのない自分の一生を、文字とおり一生懸命生きているのだな、と痛切に感じました。当たり前のことなのですが、一人一人がいとおしいですね。
 生徒たちをいとおしく思う。
 これまでになかった感覚です。
 これまでは、生徒たちを伸ばそう、育てようと思っていました。もちろん、その思いもあるのですが、それ以前に存在自体を大切に感じるのです。
 当たり前のことかもしれません。
 やっと当たり前のことを感じられるように成長したのでしょう。遅ればせながら成長中。生徒といっしょです。

幸せになる方法

 今日は高校募集の体験入学です。80組近い方が参加してくれました。
 私は中学生ミニサプリと親サプリをともに15分間行いました。顧問というやや自由な立場から、中学生たちやその保護者の方たちのことだけを考えて、時には、言いづらいことも遠慮せず正直に話しています。とても楽しいです。
 サプリを聞いている人も私が楽しんで話していることが分かるのでしょう。いい表情で聞いてくれます。
 「点数を上げようと勉強してはいけません。頭をよくすることです。もちろん、頭が良くなれば点数も上がります」
 中学生ミニサプリは、こんな調子で始まりました。
 「頭の悪い人は無表情な顔をして授業を受けます。賢い顔をして、積極的にうなずきながら話を聞きましょう。それから18ページを開けなさいと言われたらすぐに18ページを開けましょう。頭の悪い人はグズグズして反応しません。指先も器用に動くようにしましょう」
 勝手なことを言っていますね。
 親サプリでは、こんなことを話しました。
 「保護者の方にお願いがあります。お子様の前で人の悪口を言わないようにしてください。その毒がお子様を蝕んで、人の悪口を言う人間になってしまいます。人の悪口を言う人間に育ってほしいですか。それに、親から人の悪口を聞き続けた生徒は、何事も人のせいにする人間になってしまいます。自分が勉強しないのに学校が悪いとか、先生の教え方が悪いとか言うようになります」
 うなずいて聞いてくださる中学生たちや保護者の方を見ながら、ありがたくて、嬉しい気持ちに浸っています。
 さて、これから個別相談で学習アドバイスをしたいと思っています。
 人のために生きる。
 これは年配者が幸せになる方法ではないでしょうか。

秋晴れ

 今日の午前中は、中学1・2年生のペア駅伝と中学入試の「探究型入試説明会」が同時併行で行われます。加藤校長と藤井教頭がペア駅伝に関わり、顧問の私が説明会に関わることになりました。
 このペア駅伝は開校年度より行われているもので、今年で8回目になります。共に走る相手の息づかいを感じて他者を理解すること、そして、力を合わせることで一人以上の力を発揮することを学ぶ教育活動です。今年は応援できないのが寂しいですが、きっと頑張ってくれるものと思います。来校の保護者の皆さん、私に代わって応援をよろしくお願いします。
 探究型説明会は、今の中学3年生の入試の際、未来型入試として始まったものです。昨年から、社会探究と科学探究に分けて「探究型入試」と変更し、1回だった入試を2回に増やしました。学びの基礎となる読解力と計算力をそれぞれ「読解基礎問題」と「計算基礎問題」で評価し、さらに、思考・表現力を「探究問題」で問います。大学入試が2020年度から大きく変わりますが、その入試改革と軌を一にする入試です。
 私はこの探究型入試に期待をかけています。この入試で開智未来に入学した生徒は、開智未来の教育でさらに成長し、単に大学入試だけでなく、大学入学後、さらには大学卒業後に社会で活躍して人々に貢献し、身心ともに成長して幸せに生きていけると考えています。
 今日はこれからどのような学びをしていったらよいか、保護者に対してもどのようにお子様を育てていったらよいかについて、説明できたらと思っています。
 最近、自分の年齢について言及することが増えていますが、60年も生きていると何が大切か、何をどの時期に行うべきか、自分をどのように成長させたらよいか、そんなことが多少なりとも見えてきます。そうやってものごとが見渡せるようになって、「探究型入試」の意義を再認識しています。
 秋晴れの中、校庭では中学1・2年生たちが躍動しています。アカデメイアではこれから開智未来で躍動するに違いない小学6年生たちがその準備を始めます。
 清々しい天気が彼らを応援しているようです。
〈追伸〉
 おかげさまで、左膝の痛みも和らいできました。

悲しい自問自答

 昨日は午後3時までお休みをいただき、孫娘の保育園の祖父母遠足に参加してきました。
 これは5歳と6歳のクラスの行事で、子どもたちと一緒に保育園から近くのコスモス畑と公園に歩いて行って、昼食をとって帰ってくるという日程です。妻が仕事で参加できないので、私が行くことになりました。
 8時50分に集合し、歌の披露を受けた後、懐かしいお遊戯を一緒にして、9時半頃に出発。目的地までは手をつないで行進し、2時頃に園に帰ってきました。「身心開放」で恥ずかしさや照れを克服すると、多くの園児と「稚心」そのものになって楽しむことができました。まるで「良寛さん」のようですね。これを世間では「好々爺」と呼ぶのでしょうか。
 若い保母さんからは、「すずらんちゃんのおじいちゃん」と呼ばれて、どんな顔をしたらよいのか困ってしまいました。ちなみに、ウォーキングということなので、私はバリバリのスポーツウェアで、トレイルラン用のリュックを背負い、ランニングシューズのいでたちでした。何しろ、スーパーエイジングですから。
 園児たち同士の会話を聞くのも、楽しいことでした。言い合いになることもありますが、どちらにも言い分があって、子どもなりにいろいろと考えていることがわかります。また、言葉もかなり発達しています。
 生徒たちと比べても、私たち大人と比べてもそれほどの差はないのでは、と思ってしまいます。逆に言えば、その後あまり成長させていない、とも言えます。
 教育というものは、未開発な領域かもしれませね。
 ところで、一夜明けて、1週間前のプレ合格祈願走で痛めた左膝が、再びかなり痛くなっています。
 年齢に抗うべきか、年相応になるべきか、悲しい自問自答をしています。

哲学する庭師?

 昨日は週休日で、先週に引き続き家の植木の刈り込みをしました。
 今回は西側にある、2本の金木犀の木です。20数年前、50センチにも満たない苗木を、何かの景品のようなものとして貰って植えたものです。西側なので目につくことが少なく、無精にも一切手をつけなかったため野放図に育ち、2階の窓に達するほどに巨木化していました。
 枝を間引きしないと木の枝は内部に密集するものですね。枝分かれした枝を選んではノコギリで切り落とし、その上で小枝を植木ばさみで剪定することにしました。
 切りながら、精神や脳の中も、不要な枝を切って風通しをよくしなければいけない。
 不思議なもので、密集した太い枝にノコギリを無心に引いていると、勝手に思考が湧いてきます。これは草取りの時にも起こることです。
 妻と一緒に格闘すること6時間。2本で軽トラック4杯分の枝葉が出ました。
 身体労働というものはなぜかくも気持ちがいいのでしょうか。
 作業の結果が目に見えるから?
 それだけではないように思います。
 今朝、開智国際大学へ向かう車中で、『頭がよくなる思想入門』(新野哲也著、新潮選書)を読み直しました。この本は保護者会報「ビリーブ」で推薦した本ですが、私はこの本を何度も読み返しています。私の座右の書の一つです。ちなみに、すでに絶版となっており、残念です。
 こんな文章が眼に飛び込んできました。
 「理屈の世界に迷い込むと、考えなくてもわかることがわからなくなってくる」
 「直感は現実や身体感覚に根ざしている。一方、意識や言葉は、現実を離れて浮遊する」
 「現実だけに目を向けていると、役に立たない空想がいつのまにか消え去り、目の前にクリアな現実が広がってくる」
 庭仕事や畑仕事と哲学は相性がいいようですね。
 特に庭仕事にはまりそうです。

肩の荷を下ろして

 今日は開智未来での勤務です。早朝のアカデメイアで生徒たちと一緒に勉強しました。今日から中間考査ですが、アカデメイアはいつもと変わらぬ空気です。これが開智未来の素晴らしいところですね。
 顧問となって肩書きという肩の荷を下ろして、ありのままの自分を、子どもの頃を思い出しながら、見つめてみると(自分を見つめるほど余裕があるということですね)、自分というものが、つくづく、「臆病で、不器用で、融通が利かなくて、自分本意で、グズグズしていて、組織が苦手で、人見知り」だと思います。これでよく生きてきたものです。ただ、「飽きずに頑張り続けることができて、身の程知らず」なのでここまでやって来ることができたのかも知れません。
 「嫌われるほどではないが人に好かれる人間でもなく、わずかばかりの愛嬌が救いの人間」と、肩書きがなくなったからこそ、正体が丸見えになって、自分を正しく認識できるようになったのでしょう。
 自分よりダメじゃないか、と思う生徒もいるでしょう。安心してください。それでも人間はしっかりと生きていけるものなのですよ。
 それでも、自己を卑下することもなく、自分を嫌いにならない。だから自分というものは面白いと思えるのは、齢を重ねたからでしょう。
 肯定でも否定でもない自己受容。劣等感も優越感も超えた平常感。それでも成長し続けたいという体内エネルギー。
 AIの発展、資本主義の行き詰まり、ネット社会の進展等、社会の急激な大変化が予想される中、自己受容・平常感・体内エネルギーが重要なポイントとなるに違いありません。
 ちょっと話が大きくなりすぎですね。
 これからの教育はどうあるべきか。人間をどのように育てたらよいか。
 考える時間がたくさんあるのが嬉しいです。

懲りない人間

 今日はどうにか歩行できるようになり、開智未来で元気に勤務しています。
 1時間目は中学3年「哲学」です。ねらいは、言葉と思考。61歳の私が考え尽くしたことを、丁寧に伝えることを意識して授業を行いました。
 「哲学をお子様ランチにしたくはありません」
 こんなことを生徒たちに言いました。
 中学3年という発達段階は考慮しますが、相手は中学生だからと話のレベルや内容を落とすつもりはありません。大人にも通用する、小ぶりですが質も味も良いハンバーグやナポリタン、フライドポテトを提供したいと思っています。
 「人間は一つの美徳があれば、その美徳で立派に生きていけるものです。あなたにはどんな美徳がありますか」と生徒に投げかけたあと、「長所と美徳の違いを説明しなさい」という課題を出しました。
 大人でも難しい問いです。私も考え続けています。
 「自分で使う言葉は自分で説明(定義)できなければなりません。自分で説明できないような言葉を話しているから考えが深まらないのです」
 生徒相手でも真剣勝負できる、現役の人間であり続けたいものです。
 ちなみに、私は「現役の人間とは、全力で走り、全力で生き、成長し続けようとする者である」と定義しています。
 早く足を治して、全力で走りたいです。本当に懲りない人間です。

身の程(つづき)

 昨晩から腰から両足にかけての筋肉痛、さらに、悪化した左膝痛で苦しんでいます。今朝はまともに歩行できない状態で、内臓も少々ダメージを受けているようです。
 これが、今の私の「身の程」なのですね。
 それでも、昨日の「強烈走」をすでに懐かしんでいて、正しくトレーニングして体調を万全にして臨めば、もっと楽しく走れるだろうと考えています。我ながら全く懲りていません。
 今現在かなりの痛みを感じているのに、歩行困難なので大学に出勤できないと欠席連絡をしているのに、さすがに医者に行こうと思っているのに、身の程を忘れてしまっている。
 この自己意識こそ、人間の不思議で面白いところなのかもしれません。
 もちろん、いつかは身の程を受け入れなければならない時が来るでしょう。しかし、それまでは強烈に身の程を忘れて生きていきたいですね。
 自転車で日本中を走り回りたい。野山を歩き回りたい、できれば走り回りたい。開智学園の仕事では若手教員を育てる取組をしたい。日本に開智教育研究所の成果を広めたい(まだ成果すら出してはいませんが)。英語を使えるようにして、勇気をもって海外へ出向きたい。まずは、12月のこいのぼりマラソンで10キロメートルを生徒たちと一緒に激走したい。身体表現発表会で創作ダンスを踊りたい。そして、1月19日(土)の合格祈願走では湯島から再度走りたい。
 人はときどき身の程を言い訳の材料にする。
 身の丈に合わすのではなく、身の丈を伸ばす。
 今日は自宅で静養することにしました。左足がしきりに疼いているのですが、身の程知らずの夢に向かって、一日を過ごそうと思っています。

身の程知らず

 プレ合格祈願走をどうにか走ってきました。
 計画では春日部駅まで35キロメートルを走るつもりでしたが、今の私にはその力がなく、北越谷駅までの25キロメートルまでとなりました。
 走りながら、つくづく「身の程知らず」だと思いました。普通なら身の程の範囲で、せいぜい10キロメートル当たりが順当でしょう。実際、10キロを過ぎてからは足が痛くて、一時期走れませんでした。しかし、不思議ですね。身の程を知らんふりしていると、だんだんと、ゆっくりですが走れるようになってきて、しかも、辛いのですが楽しくなってきて、時々幸せな気持ちにもなってきました。
 身の程知らずだからこそ味わえる幸せ。
 そんなことを感じていました。
 考えてみれば、開智未来を創ったのも身の程知らずだったからでしょう。身の程知らずに、各地でサプリを行って、開智未来生たちが集まってくれました。私が身の程を知っていたら、きっと開智未来はこの世に出現しなかったに違いありません。
 身の程知らずは、けっして自信家ではありません。ただ自分の出来る範囲に対して無知なだけです。
 小賢しく自分を知るよりも自分を知らぬ方がいい。
 これからアスリート、アーティスト、そして、フィロソファーになりたいと身の程知らずに考えています。

強烈

 今日は大学勤務の日。柏駅までの電車の中で『自分の始末』(曾野綾子著、扶桑社新書)を読み返しいると、「いい生涯というものは、例外なく強烈だ」という、鮮烈な言葉に出会いました。
 「強烈な人生」
 私が追い求めている人生のあり方を、見事に表現した言葉を発見して小躍りしてしまいしまた。。
 これまでうまい表現が見つからずに、自分がどのような生き方をしたいのかがはっきりとわかりませんでした。言葉を獲得しないと私たちは自分の知りたいことを理解できないものです。
 よい悪いではない、成功した成功しないではない、人から評価されるされないではない、自分として納得する生き方。
 「強烈な」とは利害でも理屈でも捉えることのできないもので、「鮮やかさ」や「まぶしさ」を伴った形容動詞です。わずかながら美意識も含まれ、かといって審美的ではない。
 県立高校を辞して開智未来を開設した9年間は、私にとって強烈な人生でした。妻子を実家に戻して上越教育大学大学院で学んだ2年間も強烈な時代でした。
 これからは「強烈」を呪文にして毎日を過ごしてみようと思います。
 明日は、プレ合格祈願走を強烈に走り・歩きたいと思います。湯島天神から春日部駅までの激走ならぬ「強烈走」です。実際、左膝痛と両足の慢性筋肉痛で辛くなりそうですが、「強烈走」と考えれば、元気に楽しく・苦しく(楽苦しい:たのくるしい)頑張れそうです。
 まず、これから夕方の会議までの時間を、強烈に草取りをしたいと思います。

「10時間勉強マラソン」実施中

 今日は高校部の「10時間勉強マラソン」です。台風が逸れたので予定どおり8時30分から実施しています。会場はアカデメイア(高校1・2年会場)とリュケイオン(高校3年会場)です。
 アカデメイアでの学習が大好きな私は開校以来、用事がない限りこの勉強マラソンに参加しています。何しろ、10時間アカデメイアで生徒と一緒に勉強できるのですから、こんな幸せなことはありません。残念ながら、本日は午後から家の用事があるので午前のみの参加です。
 この勉強マラソンという教育活動は、私が県立高校の教頭時代に平成18年度に発案しました。その時の勉強マラソンは高校3年生対象で、早朝から夜7時まで、会場となる教室で各自がただ勉強するというものでした。途中、気分転換を兼ねて近くの神社に合格祈願をするというイベントもありました。
 このような50分のユニット学習形式になったのは開智学園に移る1年前、県立高校の校長の時でした。いかに集中して長時間勉強するか。人間の集中力はせいぜい90分が限度と言われています。マラソンでも最初からとばさずペースを守ることが大切。勉強マラソンのやり方も進歩してきました。この県立高校で勉強マラソンを一緒に企画・実施したのが、県立高校を辞めて開智未来に来てくれた工藤先生や寺岬先生で、特に工藤先生は開校以来、この取組の中心となってくださいました。感謝です。
 今日の勉強マラソンでは、2つのねらいを生徒に示しました。一つは「集中力を持続させること」。もう一つは「単位時間学習量を増やすこと」です。単位時間学習量とは1時間当たりに学習できる量のことで、自分の学習量を把握し、その量を増やすよう工夫・努力することが大切です。私もそうなのですが、学習計画を立てるとその計画の半分も達成できません。だから場当たり的な勉強しかできません。この考え方は大人になって仕事でも生かされるはずです。
 参加生徒たちは集中して勉強しています。その中で一緒に勉強できるのですから本当に幸せで、また、予定したこともほぼ100%出来ました。私の単位時間学習量もまだ衰えていないのでは、とさらに幸せな気分になりました。
 多くの先生方が来てくれています。開智未来の先生方は勉強好きです。安心してバトンタッチしてこれから家に帰ります。

向かう力、押す力

 10月11日のプレ合格祈願走へ向けて、昨夕、ジムのルームランナーで5キロメートルほど走ってみました。最近は、自転車やダンスが中心でだったので、久しぶりにジョギングで汗を流しました。
 今朝起きると、筋肉痛に加え、未来祭のダンスで痛めた右膝が悪化していました。今日は歩行も困難です。
 春日部駅までの35キロメートルは、この状態ではちょっと非常識な挑戦かもしれませんね。普通の人ならば絶対にこんな無謀なことはしないでしょう。自分のことながら「変な人間」だと思います。
 「変人であるには力が必要」だと私は考えています。力とはパワーであり、志であり、身体であり、心の力です。
 最近は、ちょっと人と違うことをすると、匿名の無数の、しかも無責任な一般常識によって炎上する時代です。批判が怖くて縮こまっている時代です。
 そんな時代に抗いたいという気持ち、生徒たちへの「愛」(自分で言うのも変ですが、やっぱり開智未来生はかわいいのです)と「感謝」(この学校を選んでくれたことへの感謝です)、そして、頑張っている生徒の姿が、この無謀への原動力となっています。
 当日は、湯島天神に生徒の名前を書いた絵馬を掲げて、全員が大学入試を完走することを祈願し、生徒たちが自分の氏名と意気込みを書いたTシャツを着て走ります。
 絵馬の表面には「全員完走!前へ!! 開智未来中学・高等学校 2018.10.11」と書きました。
 私の無謀が生徒たちの「前に向かう力」を「後ろから押す力」になればと願っています。

恩返し

 今日は大学での会議がなくなったので、急遽開智未来に出勤しました。
 私の出勤日の月曜日、木曜日、土曜日は、始業前にそれぞれ、学びのサプリ講座、東大ゼミ先端コース、そして、東大ゼミがあるので、今年になってから早朝のアカデメイアで生徒たちと一緒に学ぶ機会がありませんでした。今日は久しぶりにアカデメイアで勉強しました。
 やっぱり、アカデメイアは最高ですね。
 開智未来生たちの真剣な気迫というか、清涼で凛々しい空気が私に伝わってきて、身震いするほどの清々しい意欲が湧いてきました。
 彼らから伝わってくるものの、その本体は何なのだろう。
 今日は改めて考えさせられました。
 生命の持っている、成長しようとする力。
 膨大なる未確定な未来。
 代わりに、私が開智未来生に伝えられるものは何だろう。
 老木の厳しさとゆたかさ。
 不滅なる変化への意志。
 どうにか機会をつくって、月に1、2回はアカデメイアで生徒たちと「共振」したいですね。
 さて、別件ですが、10月11日(木)に「プレ合格祈願走」をすることにしました。この日はセンター試験100日前で、高校3年生たちが大学入試で最後まで走り切れるようにと、企画しました。
 開智未来を応援する-これが顧問の私の仕事です。
 もちろん、センター当日の合格祈願走も行いますが、今回は時間をかけてゆっくりと走って、どうにか春日部駅まで約35㎞を目標とし、そこから電車で学校に向かうつもりです。
 老骨にむち打つ姿が、少しでも、生徒たちの困難を乗り切る力になればと願っています。生徒たち、そして、開智未来への、わずかばかりの恩返しです。
 私が開智未来生に伝えられるものは何だろう。
 問い続けていきたいと思います。

ほのかな幸福感

 大学の勤務は時間的に余裕があるので、空き時間に草取りをしています。
 このようなことをしているのは、開智未来の開校時を思い出すからです。もう8年も前になりますが、統廃合された県立高校の跡地に開設したので、校庭は草で覆われていました。開校後も生徒数は少なく、保護者の方の熱心な協力で凌いでいました。朝早く出勤すると、植え込み当たりの草取りをしている保護者の方に何度もお会いしました。
 「うちの子がお世話になっているのでお礼の気持ちです」
 懐かしい思い出です。
 せっかく開智未来に来てくれたのに、その学校が雑草で荒れた学校では申し訳ない。
 学校に到着すると、まずは雑草に目がいき、心が痛んだものでした。
 大学も自然が豊富で、至る所に草が目立ちます。せっかく来てくれた学生に申し訳ないな、と草取りを始めた次第です。
 特に、植え込みに「ヤブガラシ」という、地下茎で繁殖する蔓草が茂っていました。私が住んでいる農村地域では、農家の方が嫌っている植物です。
 草取りの装束に着替えて、各所にある「ヤブガラシ」は完全に取り払いました。
 次は、芝生の中の草です。
 これは途方もない作業になります。カミュの小説『シーシュポスの神話』(新潮文庫)のシーシュポスのように、取っても取っても生えてくる草と格闘しています。
 果たして私が行っていることに意味があるのだろうか。それでもその苦行のような営みに、ほのかな幸福感を感じています。
 カミュはこの小説で「生きることの非条理」を表したと言われていますが、私は途方もない雑草との闘いに、無意味のようでもゆたかな時間を感じています。
 昨日、いつものように草取りをしていると、近所に住む方から「シルバーさん」と声をかけられました。
 「そのような者ですね」と答えながら、楽しい気分になっています。あの時の保護者の方も同じような気持ちだったのかしら。

後半期へ

 台風一過。一昨日は天気は快晴でしたが、台風の置き残した災禍により交通機関が乱れ、午後は放課となりました。準備していた哲学や早朝講座の「学びのサプリ」を実施できなくて、肩すかしの1日でした。
 さて、昨日は週休日で、午前中は自宅の庭や畑の後片づけをしました。ゴーヤ棚は柱が折れ、モロヘイヤや紫蘇はすっかり倒れていました。その他にも、コスモス、皇帝ダリア、バラ、その他の草花も整えました。
 ゴーヤとモロヘイヤは時期が終わったので、これを機に引き抜きました。ゴーヤは120個ほどの実を付け、8月・9月は1週間に5日以上食卓に登場し続けました。ちなみに昨年は200個以上の実をつけました。今年の夏は、猛暑のせいかゴーヤもミニトマトも実のなりが悪く、それに比べモロヘイヤは見事に壮大な林となり、強靱な生命力を発揮しました。
 私の自室から眺められる、庭の中にある小さな畑は、これで、2本のナスの木と満願寺唐辛子1本を残すのみとなりました。目前の葡萄棚も、本日最後の1房を採り、夏の風景はほとんど消えてしまいました。畑の端にある柿の木は、ほのかに実が色づき始めました。
 一年を通して畑を窓から見渡し続けていると、この畑の様相が人生のように見えてきます。
 春から夏にかけての、成長していく野菜の、まばゆい光景。生徒たちを見ているような気分ですね。
 今日は10月3日。大学で勤務です。平成30年度も後半期になりました。

チーム・みらい

 今日は大宮のソニックシティで塾説明会。その後、柏市に移動して開智国際大学の教授会です。
 塾説明会では加藤校長と藤井教頭のあとに「補助的な説明」をしました。リレーの第3走者のような役割で、二人がトップでつないできたバトンを受け取り、最年長者として気持ちよく走らせてもらっているという感じです。
 ちなみに、最終走者は西木広報部長で、私が他チームに抜かれたとしても彼が抜き返してくれる、という設定です。
 昨年までは、自分の力でリードしなければと肩に力が入って、思ったような走りができませんでした。今年は余裕を持って、自分のフォームを意識しながら、時には競技場の風景も楽しみながら走っている感じです。
 今日の塾説明会にきていただいた方には、このリレーチームのバトンパスの見事さを見ていただけたと思います。いかがでしたか。チーム名はもちろん「チーム・みらい」です。
 ところで、昨日の詩の最後の1行ですが、訂正したいと思います。
 「君は「樹」となれり。」を「君は「樹」とならむ。」と変えてください。孫はまだ1歳で、これから「樹」になるのですよね。
 歳を積んで君は樹になるんだよ。きっと立派な樹になるに違いない。
 次の世代に夢を託すのは気持ちいいことです。開智未来の未来も楽しみです。

身の程知らず

 私事ですが、今日は2番目の孫の1歳の誕生日です。
 孫の誕生日に詩をプレゼントしようと思い立ち、6月の孫娘の「涼蘭」の5歳の誕生日に引き続き、二度目の「birthday poem」をつくりました。
 爺バカと言われそうですが、孫を利用して、自分の詩を発表する機会にするという、邪な動機の方が強いようです。
 さて、今回の詩です。
☆  ☆  ☆
「寿樹」
黙していた種子は
双葉となってそっと笑い、
若葉となって風とおしゃべりを始め、
若木となって陽を浴びて天に向かい、遊ぶ。
ときには嵐にあらがい、ときには雪の重みを楽しみ、
十の堅強な枝を持ち、
百尋に葉を茂らせ、
千の実を結んで、壮木となり、
万世のうちの有期に、
寿を積みて
君は「樹」となれり。
☆  ☆  ☆
 下手でも、詩という言葉の形式を、昔の和歌のように、メッセージを伝える手段とする。それが日本の文学の始まりだったのではないでしょうか。
 具体的な誰かに伝えること。その現実性のなかに、人間の感情・感性、そして、言葉が発生するものである。 
 身の程知らずですが、身の程をしらないからこそ楽しめるのだと悟っています。

胡蝶の夢

 一昨日が久喜市の塾での勉強サプリ、昨日が高校の入試講座での「中学生勉強サプリ」と「親サプリ」、そして、今日が中学体験授業での「小学生サプリ」と「親サプリ」と、3日連続で5回のサプリを行いました。
 楽しかったです。最近は保護者の方も私よりだいぶ年下になったので、どのサプリも、聞き手のためになるように、と「やさしい気持ち」になって行っています。そして、楽しんで行えるようになりました。少々熟成してきたのかもしれません。
 サプリは、平成17年に県立高校の教頭時代、高校生対象の「学びのサプリ講座」として始まりました。頭の良くなる方法からスタートしてきましたが、だんだんと生き方の比重が高まり、この頃は、「幸福」というものを意識して行っています。
 いかがでしたでしょうか。
 特に、今年から校長という役割から解放され、より自然体に、サプリの生き方を行えるようになりました。
 私の頭の中でつくったサプリが、私の身体の一部になっている。
 そんな感じです。
 私がサプリなのか、サプリが私なのか。
 これって『荘子』にある「胡蝶の夢」の話のようですね。
 唐突ですみません。以下、インターネットの「コトバンク」の引用で説明します。
 「荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという『荘子』斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ」
 胡蝶になって、次の世代に何かを伝えたい。
 「こちょう」と「こもん(顧問)」。ちょっと似ている言葉かな?(いえ、「こ」で始まるしか共通点はないようですね)

苦しみへのチャレンジ

 1週間以上お休みしてすみません。
 『月刊高校教育』の原稿書きがあり、このメッセージの文章を書く余裕がありませんでした。この連載も今年で10年になります。毎月、原稿用紙11枚のマス目を埋めるのに四苦八苦して、毎回、連載を止めようといつも思っているのですが、産みの苦しみを経て書き上げると、また頑張ろうかという気持ちになって、こうして続けています。
 これが男にはわからない母親の気持ちなのでしょうか。
 苦しいことというものは、苦しんでいる時は辛いのですが、それを乗り越えてゴールに達成すると、快感につながるものです。逆に、苦しみのない達成は味気ないものです。
 それでも苦しみから逃れたいと思うのが人情。困ったものです。
 最近、前よりも苦しいことが苦手になってきました。これを老化と呼ぶのでしょうか。困ったものです。
 さて、9月が終わると今年度も後半戦に突入します。
 「苦しみへのチャレンジ」
 これを後半戦のテーマにしようと思います。
 肉体系では、プレ合格祈願走。こいのぼりマラソン参加。ダンス発表会参加。合格祈願走。
 頭脳系では、エンパワープログラム参加。授業サプリ執筆。開智教育研究所の青写真づくり。
 前向きにチャレンジする姿を開智未来生に見せるのが私の仕事だと思っています。

深化・進化

 今日は大学に出勤の日です。柏駅から2キロメートルほど歩くので、Dパックを背負い、最近はハイキング用のシューズて通っています。
 往復で約2時間。電車には待ち合わせ時間も含めて片道1時間20分ほど乗ります。車中を有効に使おうと、座れば読書やメモに専念し、立っているときは考え事をしています。ホームで電車を待っているときはウォークマンで音楽を聴きながら、人知れず踊っています。きっと不気味なオヤジに思われていることでしょう。ちなみに、今日は Ed Shearan の『÷(ディバイド)』で踊っていました。一見ヤバい人です。
 昨日から『唯脳論』(養老孟司著、ちくま学芸文庫、1998年)を読んでいます。養老氏は私の20歳上ですから、彼が今の私の歳に出版した本です。一読スゴい本です。ずっと遙か遠く、彼方の存在です。もともとサプリは養老氏の考えも取り入れているのですが、最近、養老氏の凄さがさらにわかってきました。少しは成長したのでしょうか。
 「あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり、脳の産物に他ならない」
 「現在われわれを捕らえているのは、現実と化した脳である」
 テクノロジーの発達で、私たち人間は、脳の中で想像してきたことを現実にしてきました。空を飛ぶ夢、腕時計で人と話をする夢、時間と空間を超えて誰とでも話ができるという夢。みんな現実になりました。脳で考えたイメージはCGであたかも現実のように画像化されます。ネットという人工的な世界は若い人たちにはすでに現実空間となっています。
 まさに、脳が現実となっているのです。
 しかし、それは本当に現実なのでしょうか。
 氏は「現実とは、われわれを制約するもの」であると述べています。人間は、自分ではどうにもならないこの現実と向き合い、時には抗い、時には屈服されてきました。しかし、脳によって生み出された人工物という現実は、われわれを制約から解き放しました。何でもできるのです。
 人間を制約をしない現実は、本当の現実なのでしょうか。
 私はここで身体に注目します。身体には制約があります。がんばっても50メートルを4秒では走れない。思ったように踊ることはできない。思ったようにギターは弾けない。絵を描くことはできない。そうやって不便な中で現実を取り戻すことが大切なのではないでしょうか。
 そうして、身体を鍛えれば、絵やギターの腕を上げれば、できなかったことができるようになり、私の現実は広がっていきます。脳で空想上の世界を思いのままに広げても、生きた気分にはならないと思うのです。
 現実に制限された人間にこそ、その身体の開発で、一人一人の意味ある世界を持つことができる。
 朝、野田線で考えたことです。
 読んでは考え、読んでは考える。
 サプリをもっと深化・進化させたいと思っています。

英語・世界へ(3)

 2日ぶりに開智未来で勤務しています。やはり、開智未来生と直接関わる仕事は楽しいですね。
 木曜日は始業前に東大ゼミの先端コースの講座があり、14名の中学3年生と一緒に『菊と刀』を英文で読んでいます。この先端コースは昨年度から開講しているもので、英検2級以上を取得している中学3年生に、ちょっと背伸びをして全国レベルの学びを目指したゼミです。
 ちょうど天皇が話題となったところだったので、「日本人にとって「天皇」とは何か?」について考えました。
 「このことを外国の人にどのように伝えますか。日本人ではありませんから、『そーだよね』では通じません。丁寧に説明しても文化の違いから相手はなかなか理解してくれません。理解したとしても納得してはくれないでしょう。その時、どのように論じていきますか?これは単に英語力の問題ではありません」
 世界と関わるということは、もし本気で関わろうとするなら、いいかげんに相づちを打つのではなく、相手の考えを真剣に理解し、自分の考えをねばり強く伝えることが大切です。そんな思いで生徒たちに問いかけました。
 真剣に聴いている生徒たちと接して、自分も背筋を伸ばして生きなくてはという気持ちになります。
  「英語・世界へ」というテーマで3日連続でこのメッセージを書いてきましたが、英語力は後からついてくるもの。やっぱり「飛び込む勇気」ですね。じっくりと考えて覚悟をもって飛び込むのもよし。軽いノリで入り込むのもよし。動き回ったからこそ見えてくる世界、入り込んだからこそ五感で感じる世界が現実世界なのでしょう。
 「エンパワープログラム」の宣伝を連日書きました、このプログラムに多くの生徒が飛び込む、そんなパワーのある学校に開智未来がなることを私は夢見ています。
 もし生徒たちが嫌がらなければ、いい歳でお邪魔かもしれませんが、私も同じ条件の生徒の一人として、萎れかかっている勇気に息を吹き入れて、プログラムに飛び込みたいと思っています。

英語・世界へ(2)

 昨日から「英語・世界へ」について考え続けている。
 「エンパワープログラム」の内容を見ると、1日目のテーマは「ポジティブ」である。まず姿勢を育てて、2日目からは「社会問題を解決するためのスマホアプリを考案しよう」や「20年後に出現する今はない新しい仕事を想像しよう!」を一緒に考えるプロジェクトがある。また、「世界にどのように貢献していくか、そのために何をすべきか」についての個人スピーチもある。
 英語を使うだけではない。英語を使うための姿勢を学ぶように出来ている。それを5~6名に一人、優秀な海外学生がついてディスカッションしていく。日本に飛び込んできた、意識の高い若い海外の人たちと接することは、普段の学校生活では体験できないことである。
 私は開智未来生に、勇気をもって参加してほしいと願っている。
 「どうせ私は将来英語を使わないから」「私は英語が苦手だから」
 自分の未来を切り拓く勇気をもってほしい。
 そういう私自身が勇気がなかったではないか。
 「エンパワー」とは「力を与える」、さらには「勇気づける」という意味の言葉である。昨日から英語の勉強を再開した。何を英語で語りたいか。外国でも通用するためにこれから何をすべきか。答えを出すにはもっと力が必要である。

英語・世界へ(1)

 今日は常体で書きたい。自分を突き放して考えたいと思ったからである。
 9月1日(土)に行った「共育講座:大人のサプリ 2018」(テキストはフィリアにアップしてあります)でこれからの30年の生き方について述べたが、意図的にそっと消したことがある。お気づきになられただろうか。
 「英語・世界へ」というカテゴリーである。アスリートになる、アーティストになる、哲学者になる、という夢は描いたが、世界に進み出るという夢、そのことに伴って英語を身に付けるという目標が消えている。
 開智未来の校長時代、私は英語の勉強に、相当な時間をかけた。カナダやワシントン、そして、ブリティシュヒルズに一緒に行くからである。国際社会に貢献するリーダーになるためには、英語を使えるようにならなければならない。
 校長も率先して行う-これが私の信条であったから、かなり勉強した。
 しかし、やはり英語は苦手である。あれほど勉強したのにものにならない。特に、聴き取る力は決定的に劣っている。聴き取れないと言っても過言ではない。校長を退いて、英語を使う必要性もなくなり、英語の勉強をそっと辞めていた。正直、肩の荷が下りてほっとしていた。
 私は「大人のサプリ」で「自分を始末する方法・自分を全うする方法」として「罪滅ぼして恩返し、取り返しては夢叶え、跡を濁さぬようよう整理して、行李一つ残して自分を全うする」というスローガンを掲げた。
 その中の「取り返し」とは「できなかったこと、やり残したことを行う」ことである。私の最大の「取り返し」は、英語である。受験勉強も含め、中学・高校・予備校時代と相当量の英語学習をした。しかし、話せるようにならなかった。正直のところ、あれほど費やした時間・努力は大学受験にしか役に立たなかった。
 その英語をこのまま終えていいのだろうか。
 たしかに、無駄になるかもしれない英語にかける時間と労力を別のことに用いれば、相当なことを達成することができる。しかし、「やっぱり、英語だけはダメだったな」と末期に自分を振り返るのも口惜しい。
  「英語・世界へ」という夢をなぜ諦めようとしているのだろう。
 英語が苦手なことが本当の原因ではない。「世界へ」向かう勇気がないからだ。そして、世界に通用する哲学・生き方を確立しようという意気込みがないからだ。
 井の中の蛙大海を知らず。小さな世界に逃げ込んでいるからだ。これを「意気地なし」と言う。
 翻って考えてみる。私は世界へ向かって訴えたいこと、他の国の人と言い争っても主張したいこと、他の国の人と一緒に考えたいこと、一緒に創り上げたいことはないのか。
 日本人であること、日本の文化。日本の教育実践文化。近代欧米思想に対抗する多様な考え方を掘り起こして示すこと。
 これらのことを自分のライフワークにするならば、「英語・世界へ」から逃げてはならない。達成できるかどうか、が問題なのではない。「逃げてはならない」ことが重要なのである。
 さて、本年度、加藤校長・藤井教頭となって、「エンパワープログラム」を実施することになった。国内で英語を使い、世界へ踏み出すプログラムである。費用も3万9千円と海外に行く場合の10分の以下である。しかも、海外へ行くより英語を話す時間が多い。
 このプログラムでは英語を話すだけでなく、世界に通用する考え方を学ぶことができる。それ以上に、世界に向かって生きる姿勢を学ぶことができる。海外の優秀な学生と、1日6時間を3日間、コミュニケーションを取ることができる。素晴らしい企画である。
 多くの開智未来生たちに勇気をもって参加してほしいと思っている。私のようにあとで後悔しないように……。いや、私も負け犬で人生を終わらせてたまるか。
 私も「英語・世界へ」を再び掲げることにした。開智未来生たちと一緒に世界に向かっていきたい。一緒に新たな世界を見てみたいと思っている。(つづく)

成長

 未来祭明けの今日は、午前中が片づけで午後から授業でした。私も5時間目に中学1年生の「哲学」がありました。
 生徒たちはすでに気持ちを切り替えていました。きっと昨日、清々しい朝を迎えていたに違いありません。
 哲学の授業の今日のテーマは「振り返ること・抽象的に考えること」。「言葉の第8期生」と里山探究フィールドワーク後に名付けた中学1年生たちに、言葉に焦点を当てて授業を行いました。
 「抽象的とはどういうことですか。言葉で定義しなさい」
 こんな課題を出しました。
 「わからないから書けないではいけません。どんなことでも考えたことを言葉にしてノートに書いてください」
 わからないと考えることを途中で断念して、ノートに書かない生徒がいます。高校生になると考えるのが面倒だから、「あとで先生が答えを言うまで待とう」と何もしない生徒が増えてきます。
 「各グループで全員が何かを書けたところは互いに発表する『学び合い』を始めてください」 うまい方法が閃きました。このように指示をするとどうにか必死に考え始めました。
 「それでは『振り返る』とはどういうことですか。3つ書きなさい」
 とても難しい質問です。大人は「振り返りなさい」「反省しなさい」と、子どもたちに問いただします。しかし、振り返るとはどういうことか、反省するとはどういうことかを説明しません。それでも強く求めてきます。私も小さい頃、先生に反省しなさいと言われて、一体何をしたらいいのかと思ったことがあります。
 大学3年の時、教育学部の主任教授から「問題意識を持て」と言われて、同窓の仲間と「問題意識を持つとはどういうことかを研究しよう」と、その主任教授を特別講師に招いて、揶揄気味に勉強会をもったことを思い出します。
 大人は、十分に考えずに子どもに要求するから、子どもは育たないと私は思っています。
 生徒たちは必死に考えて、あれこれとノートにその定義を書いています。それらを眺めながら、5種類の「振り返り」を示しました。
 「思い出すこと、反省・課題を考えること、成長したこと・出来るようになったことを確認すること、パーフェクトにすること、次に何をするかを考えること」
 実は、5番目の「次に何をするかを考えること」はある生徒の答えを見て参考にしたことです。
 かなり難しい内容ですが、私の説明をしっかりと聴いています。
 言葉そのものが抽象である。
 1学期に比べて、だいぶ頼もしくなってきました。

新しい朝

 「事(こと)」というほどのことではありませんが、ダンス発表という「一事(ひとこと)」をやり遂げて、新しい朝を迎えました。
 私の一番好きな瞬間です。
 何かをやり遂げた瞬間は、新しいことが始まる瞬間である。
 これは私の信条の一つです。
 喜ぶのはその日まで。次の朝には次のことをスタートさせることにしてきました。
 いつもの時間に起きて、いつもの日曜日と同様、葡萄棚のある自室で、次に行う「こと」を確認して、開始しました。
 清々しくて気持ちいいですね。昨日の喜びに勝る幸福感かもしれません。ところで、「清々しい(すがすがしい)」とは、まさにこの瞬間を表現するための形容詞ではないでしょうか。
 さて、身体表現の次は、言葉による表現。これからは言葉、特に、詩に熱中したいと思います。これも年甲斐もなく、新たな挑戦です。
 思ったより身体のダメージが大きく、全身の筋肉痛と、特に左膝が悪くなっていました。やはり、年甲斐もなかったのでしょうか。それでも懲りずに、今日の午後は久しぶりに自転車に乗って「年寄りの冷や水」を流そうかなと思っています。
 未来祭で全力を出し切った開智未来生たちも、きっと清々しい朝を迎えているに違いありません。
 「おはよう!新しい朝です!」

40年

 恥ずかしながら、切羽詰まって、昨日になって初めて、本日のダンスについて本気で考え始めました。
 私が未来祭で踊る意味は何だろう。どんな表現をしたらよいのだろう。特に、舞台でダンス部顧問の西村先生と遠藤先生と一緒に踊るダンスは、それぞれがソロで踊る場面があり、そのダンスの意味を考えました。
 自己流で踊り始めてほぼ1年。基礎もなく、ただ身体で自己を表現する面白さに惹かれて、わが家にダンスルームがあるという「幸運な環境」を活用して、ダンスに熱中してきました。
 身体に関心を持つことのすばらしさ。年齢を超えて身体を楽しむことができること。生きている限り成長できること。そして、身体を動かすことのすばらしさ。
 私にとって、ダンスも哲学の一部です。
 それらを伝えられないか、伝えたい、と考えました。
 今朝も家で1時間ほど動きを考えて、学校でもダンスが始まるまであれこれと試行錯誤しました。
 緊張とともに楽しいという気持ちが、時間に追われる中で、高まってきました。
 本番では、楽しいという気持ちで舞台に立つことができました。どのように踊ったかはよく覚えていませんが、幸せな気分だったことは覚えています。
 さて、この気分は昔感じたことがある。
 それは大学受験です。第1志望校の二次試験で、緊張しつつも問題にワクワクしながら、集中している自分を楽しんでいました。ずっと忘れていたことでしたが、そのことを突然に思い出しました。
 今、40年前の自分に戻ったような気持ちになっています。
 これから高校生たちは後夜祭です。その気分を40年後に思い出せるような生き方をしてほしいと願っています。

ドキドキ

 昨日は膝痛のため、ダンスの練習は行わずに過ごしました。おかげで痛みもかなり引きました。同時に、頭の中にあったイメージもすっかりと消えてしまって、こうなったら、その時の気分で「無分別」に踊ってやれ、と開き直っているところです。
 「美というものは、本来、何かを欠いたものです」(寺山修司著『両手いっぱいの言葉』新潮文庫)
 そのとおり。私の大いなる欠陥ダンスにこそ美は宿る、のである。と、まったくもって勝手で無分別な言い訳・自己弁護を考えている次第です。
 これからリハーサルがあります。けっこうプレッシャーなってドキドキしています。
 何もしなければドキドキすることもありません。ドキドキは何かをしているということです。思い起こせば、子どもの頃はささいなことでドキドキしていました。授業中、先生に指されてドキドキする。テストの始まる前にドキドキする。リレーで待っている時間ドキドキする。好きな子と廊下ですれ違ってドキドキする。
 歳を取るとドキドキすることが極端に減ってきます。そして、ドキドキすることを避けようとします。
 1時間後にリハーサルを控え、幼い頃、かくれんぼで息を潜めて、「おに」の出現にドキドキしていたような気持ちになっています。
 「もういいかい」「まぁーまだよ」
 どんなダンスをしようかしら。まぁーだ決まっていません。ドキドキです。

無分別

 未来祭に向けて、ダンスの練習に励んでいます。
 本気で踊ると、20秒程度で100メートルを走ったように息が切れます。わが家には鏡のあるスポーツルームがありますが、踊っては椅子に倒れ込み、起きあがっては踊り出して……と、歳を考えれば狂気じみています。今朝起きると、左足の膝に少々痛みが生じていました。
 妻からは「年甲斐もなく」と言われました。
 さて、「年甲斐もない」をネットで調べると、「年齢に似合わず無分別である。いい年をして思慮分別がない」とのこと。
 キーワードは「分別」。
 「仏教では、人間の知は分別知で、そのものを偏らずにそのまま受け止める、仏の知を無分別知と言います。ならば、私は年齢に似合わず無分別なのだから、仏の境地にある」と訳の分かったような分からないような、まさに「無分別」な屁理屈をこねています。
 しかし、最期は無分別でありたい。
 これは私の望みでもあります。膝の痛みを感じながら、分別のない生き方を邁進したいと思っています。
 是非、未来祭では私の無分別なダンスをお楽しみください。

真剣な匂い

 今週は未来祭の週です。生徒たちはその準備に動き出しました。いつもとは違う表情が出てきて、まさに「祭」が近づいてきた、という感じです。
 子どもたちのことですから、手際はけっしてよいとは言えませんが、それでも真剣な匂いが漂っていて、ちょっと羨ましくなります。それが若さというものなのですね。
 さて、実行委員会からの依頼もあり、オープニングでダンスをすることになりました。昨年はサプライズでしたが、今年は生徒たちと一緒に盛り上がれるような計画を立てています。でも、ありがたい話です。こんなジジイにダンス発表の機会を与えてもらえるのですから。
 さらに、いい気になって、ダンス部の顧問の西村先生と遠藤先生とチームを組んで、文化祭当日、中庭で5分ほどのダンスパフォーマンスをすることになりました。今日は初めての練習をしました。素人に付き合ってくれる二人に感謝です。
 いい歳で、動きはけっしてよいとは言えませんが、老醜(老臭)ではなく、生徒たちのように真剣な匂いを漂わせられたら、と思っています。

青写真

 昨日、ボランティア除草に除草に先立ち、「共育講座」を行いました。テーマは「スーパーエイジング・3度目の自分への挑戦」。「自分を全うする」そして「自分を始末する」方法をテキストにまとめることができました。このテキストづくりはかなり時間がかかっていて、この夏休みを費やしました。
 一夜明け、赤裸々すぎたかなと思いつつ、自分のこれからの30年の青写真が一応出来上がったことにホッとしています。この通りにはもちろんいきませんが、一つの目安として、「3度目の自分」のスタートを切れそうです。
 講座でも申し上げましたが、このテキストは、私のこれまでのサプリや開智未来の教育をベースにしたもので、この生き方を最期まで続けるとどのような一生になるか、どのようなエイジング像になるかを示すことができたと思います。その意味で、開智未来生に対して、開智未来の教育の究極の姿となります。教育顧問の私か開智未来生に対して行うべきことは、その姿を見せることで、「生きる」っていいな、人間っていいな、と思ってもらえるようにすることです。
 元気いっぱい頑張りたいと思います。
 今朝も、早朝からダンスと詩の勉強をしています。
 「こんなにいろいろなことに手がけすぎでは、手が回らなくなるのでは。自分の統一感がなくなるのではないか」とふと思いました。
 たしかに、ダンス、詩、絵画、音楽、サイクリング、トレイルラン、哲学……等、守備範囲(攻撃範囲)を広げすぎです。
 「そんなことは思わずに、好きなとき好きなことをすればいい。そんな「自由自在人」になばいい」。
 開き直って、思い直しました。これは還暦を過ぎた者の特権に違いありません。
 それから、ボランティア除草へのご協力をありがとうございました。最後になってすみません。
〈追伸〉
 昨日のテキストをフィリアの「保護者用キャビネット・平成30年度」にアップしました。昨日のテキストにはない「付録」も付けました。

一粒で三度おいしい

 土曜日に行われる「共育講座」のテキストがほぼ出来上がりました。タイトルは、「スーパーエイジングへの挑戦」です。目標は2つ。「一粒で三度おいしい生き方を目指す」と「自分を全うする、そして、自分を始末する」です。
 「一粒で三度おいしい」とは、昔のグリコのアーモンドキャラメルのキャッチフレーズ「一粒で二度おいしい」のパロディです。50年以上食べていませんが、子どもの頃、私はグリコのアーモンドキャラメルが大好きでした。アーモンドとキャラメルの2つを楽しめるという意味です。
  「一粒で三度おいしい生き方」とは、人生90年を三等分して、最初の30年は自分をつくる時期、次の30年を自分の領域で仕事を全うする時期です。私も開智未来づくりでこの時期を完結させることができました。そして、60歳からの最期の30年です。
 三度目のおいしさをどのように味わっていくか。そのことを考察しています。それは、自分を全うすることでもあります。60歳で仕事を全うしたので、今度は自分です。4月からこの夏休みまでかけて、考え続け、あれこれと模索してきました。
 「自分を始末する」は、意味深ですね。これは曾野綾子氏の『自分の始末』(扶桑社新書、2011)からの発想です。「始末に負えない自分を始末するのは自分しかいない」「あとの人に私の後始末をさせてはならない」。そんな考えてまとめてみました。
 保護者の皆さんには、少々先の話ですが、参考になれば幸いです。私にとっても、このテキストづくりで、潔くきれいに、第2期の自分を脱皮して、新たな一歩を踏み出したいと思っています。
 しんみりした話になってしまいました。
 ダンサーになる!詩人になる!トレイルランに挑戦する!サイクリングは五感と孤独だ!それからちょっぴり家族愛について……。
 当日は、元気いっぱいのエイジングサプリをご堪能ください。

楽しむ

 今日から本格的に授業開始。
 私も始業前の「学びのサプリ」講座、2時間目が中学2年「哲学」、3時間目がH・S合同の高校1年「哲学」、5時間目が中学1年「哲学」と、4時間ほど授業を行いました。猛暑の夏休み明けというのに、開智未来生は夏休みボケはなく、集中して授業に参加しています。素晴らしいですね。
 生徒たちにこんなことを伝えました。
 「何となく過ごせばただの時間ですが、ねらいをもって過ごせば意味ある時間になる。意味ある2学期を過ごしましょう」
 この時間という言葉を「1日」「1年」「1生」と置き換えることもできます。開智未来生には意味をつくれる人間になってほしいですね。
 さて、私の2学期のねらい(テーマ)を「楽しむ」としました。大変なことも嫌なことも、もちろん、好きなことも徹底して「楽しむ」。そんな生き方をしたいと思っています。
 齢を重ねると、いろいろなことがしみじみと分かってきます。
  『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)
 『論語』の有名な一節ですが、「楽しむこと」は究極の境地ですね。昨日も、夕方暑い中、1時間ほど歩いたり走ったりしました。「トレイルラン」をできるようになりたい。この夏、そんな夢が出来ました。そこでリュックに水筒を入れて、近所の田んぼのある風景の中を、時には歩き、興味のあるものを見つけたときは駆け寄ったりしながら、身体はきつくて苦しいのですが、楽しんでいます。
 なぜ楽しいのでしょうか。走りに自らの意味を持たせたからです。人間というものは奥深いものですね。
 生徒たちと意味深い2学期を楽しんでいこうと思います。
〈追伸〉
 楽しむと笑顔になってきます。また、笑顔になると楽しむことができます。そして、楽しむことで意味が生まれてきます。「未来スマイル」の初心に戻りたいと思います。

2学期始動

 開智未来は今日から2学期です。他の学校より夏休みが早く始まるので、その分2学期が早く始まります。
 始業式で加藤校長の式辞がありました。1学期の始業式はスターティングセミナーの引率中、そして、1学期終業式は大学での勤務だったので、加藤校長の式辞を聴くのは初めてです。肩の荷が下りて、ホッとしながら生徒たちと一緒にメモを取りながら聞きました。
 「満足した夏休みでしたか?」
 生徒たちに問いかけた後、こんな話がありました。
 「ダラダラして、逃げてしまった人もいると思います。誰しもいい生活がしたいと思っています。しかし、何もしないでいい生活は転がり込んではきません」
 やさしい語り口調ですが、奥の深い、しかも、毅然とした言葉です。
 誰しもいい生活がしたい、と思っている。
 すべての生徒を思い遣る、やさしさに溢れる言葉です。みんな自分を大切にしたいと思って、幸せになりたいと思って生きているのですよね。
 その言葉に続いて、何もしないでいい生活は転がり込んでこない、ときっぱりと言い切っています。これは加藤校長の信条に違いありません。優しい中に厳しさを兼ね備えた言葉です。
 思わずメモしました。学ぶということは楽しいですね。同じ言葉をメモした開智未来生もいるでしょう。
 2学期は、生徒たちと同じ気持ちで学んでいきたいと思っています。
〈追伸〉
 9月1日(土)に行われる「共育講座」のテキストを作成中です。スーパーエイジング・サプリと銘打った講座になります。気合いが入っています。楽しみにしていてください。

ワクワクの2学期

 本日から夏期講習(後期)が始まりました。そして、今週の土曜日に始業式があり、2学期が始まります。開智未来は夏休みが早く始まるため、その分、2学期も早く始まります。
 やはり、学校は生徒たちで賑わっていなければ学校らしくありませんね。夏休みボケの表情もなく、生徒たちは「学びの朝」を行っています。校長を退任して顧問となって、より客観的に開智未来を見られるようになりましたが、そのような目で見ても、本校の「学びの朝」は素晴らしいですね。長期休業明け(いいえ、まだ夏休み中です!?)であっても、生徒たちは始業前から楽しそうに勉強しています。それは、人間が本質的に学びが好きだからに違いありません。
 私は始業前に「学びのサプリ」講座を行いました。20人近い生徒が、忘れることなく参加しました。この講座は受講生に「1週間分のやる気」を提供することをねらいとしたものですが、かえって私の方が生徒たちからやる気をもらっているようです。
 サプリ講座ではこんな話をしました。
 「今日から後期講習で土曜日が始業式です。いつから2学期なのかがわからないのが開智未来の特徴ですが、新学期のスタートは生徒自身が決めるべきだと思っています。それが開智未来なのです。夏休みがまだ納得できていない人は、最大、授業の始まる来週の月曜日から2学期が始まると考えてもよいでしょう。長期休業中にしかできない『がっつりした学習』をあと1週間で仕上げましょう。すでに納得できる夏休みを過ごした人は、今日から弾丸スタートを切ってください。弾丸スタートのポイントは『グズグズしない身体、クリアーな感覚、高速の脳』です」
 さて、開智未来のワクワクの2学期が始まります。

のど元過ぎれば

 昨日から急に涼しくなりました。
 今日、正午の外気温は29度。猛暑に慣れてしまった身体には物足りなく感じます。我ながら環境への適応力に驚いています。
 考えてみれば、今から半世紀近く前のこと、私の中学・高校時代の夏はこの程度だったのですね。日中も風通しのよい家の中では、エアコン無しで昼寝が出来ました。それでも「暑い夏」だと感じていました。それが今や「涼しい、物足りない」と思ってしまうのですから、年々凶暴化する猛暑・酷暑に、自らジャングルの熱帯人となったのかもしれません。
 これからの時代は「暑さに強い人間」が生き残る。
 最近、そのように考えています。
 暑さに弱い人間は、夜も含めて一日中エアコンの効いた屋内に居て、暑さに強い人間だけが外を活動している。日本に、弱暑の民と強暑の民、2つの民族が出現する。弱暑の民は部屋の中でコンピュータに向かい、強暑の民は、幼い頃に読んだ絵本よろしく、槍と盾をもった腰蓑の部族よろしく、半袖半ズボンの帽子姿で片手に日傘、片手にペットボトルをもって、強烈な日差しの中を闊歩する。思考方法も弱暑の民と強暑の民は違うかもしれません。
 動物も昆虫も弱暑種は秋に活動し、強暑種は真夏に活動する。植物もそうなるかもしれません。地球が温暖化する中、適者生存の原理に基づき、強暑の民や種が生き残って進化していく。私は強暑の民で、日焼けした姿で走り回っている。
 猛暑をネタに妄想をしながら、アフリカ起源の「ダウンビート」のダンスを踊って楽しんでいます。
 もう少し、猛暑を楽しみたいな。のど元過ぎれば熱さ(暑さ)忘れる、です。これは人間が強い証拠でしょう。